誰だってブログを続けていれば「月25万PVいいな・・・なんで自分のブログは月25PVなんだろう・・・」と思うときはやってきます。「PV数がすべてではない」と何度言われ、自分に言い聞かせても、です。
この問題について、自分なりの考えを書いておくことにします。
多くのブログは「提案」から始まっている
世の中には4マス(新聞、ラジオ、テレビ、雑誌)と呼ばれる便利なメディアがあります。だいたいにおいて自分の欲する世界がこの中に収まっている人は幸せです。しかし、4マスはよく機能しているものの、「マス」メディアですからきめ細かさに欠ける嫌いはあります。
例えば「読売ジャイアンツいいよね〜。読売ジャイアンツの刺激に接していられれば、私は幸せ〜」という人にとっては、この世はおおむねよくできています。テレビをつければ試合が見られ、書店へ行けば情報誌がたくさん売っています。この状況は1980年までさかのぼっても大丈夫です。
しかし「ロッテ・オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)いいよね〜」という人にとっては、世界がまったく違って見えます。テレビをつけても試合はまず見られないし、小さな書店では関連情報など皆無でしょう。
1980年においてこの状況は絶望的であり、どうしても「ロッテ・オリオンズ」の情報に触れていたい人は、スポーツ新聞でも買って、いかがわしい写真が隣に移っている4面あたりを一生懸命読むくらいしかありませんでした。
2011年の現在はまるで違います。インターネットがある上にブログもあるからです。どうしても「千葉ロッテいいよね〜」の情報に触れたくて、しかもそれがなければ(今はありますが)、自分でそういう情報を投げかけるという手段ができたわけです。これがつまりpostです。
1つのpostとは1つの提案なのです。
ブログは読者と「対話」しなければつづかない
個々人の欲求に対するきめ細かさはブログがケアしてくれます。ただ、マスメディアは仕事で情報提供しているのに対し、始まったばかりのブログは趣味以外の何ものでもありません。いくら千葉ロッテが好きでも、「千葉ロッテいいよね〜」をずっと続けていくのは、そう簡単なことではないのです。
お金にはならない。時間はかかる。なんの反応もない。
この状況がしばらく続くなら、むしろ何もしない方がマシなような気がしてくるでしょう。
ですから最初の「提案」である1ポスト目が、100%自分自身のためであったとしても、postをつないで「線」にしていくためには、読者との対話が必要になってきます。線になって初めてブログです。
つまり、対象に対するブロガーの思い入れが強いのは当然として、思い入れの強さをいつまでも投げかけるだけだと、提案し続けるだけの状態が続くことになるわけです。もちろんそれもブログであることに違いはなく、提案し続けたいだけであればそれでいいのです。
しかし提案し続けるだけでいいということは、反応がまったくなくても仕方がないというのとほとんど同じことです。そう言っておきながら25万PVをうらやんでも仕方がありません。反応が欲しいなら、対話する必要があります。
提案したテーマについて、ブロガーと読者の対話が進行する。これがブログの基本形だと思いますが、原則として1PVでも25万PVでも同じだけの価値だというのは、「対話」だからです。このことはリアルな世界に直せばはっきりします。セミナーを開催して、聴衆が百人でも一人でも、講師は同じようにきちんと話した方がいいでしょう。
「なんだあなた1人ですか。これじゃ私が話しても仕方がないので、申し訳ないが帰ってください」と言ったとしたら(いわないと思いますが)とてもひどい話です。
交流の場としては「アクセス数」が必要
では1人だけ参加するセミナーと百人参加のセミナーに、価値の違いがまったくないかと言えば、そうは言えません。講師対聴衆という関係だけであればそうかもしれません。が、セミナーに参加する意味は講師から情報を得ることだけではないからです。
聴講者が1人というのは極端ですが、そうだったとしましょう。1人しかいない場合の最大の問題は受講者同士の交流がまったく起こらないことです。何しろ1人ですから。同じことはブログにも言えます。
ブログのアクセス数がとても大きくなることの、購読者にとっての意味もここにあるのです。そのブログがなければ、発生が困難だったかもしれない人間関係を構築できるところです。
ブロガーがこの方面を意識できれば、購読者にとってのメリットはかなり大きなものになり得ます。購読者はブロガーからニッチな情報を得るのみならず、ニッチな情報に集う人脈をも得ることが可能になるからです。