- 『思考のための文章読本』(2016)
『思考のための文章読本』(花村太郎)
本書は、『知的トレーニングの技術』の応用編に位置づけられます(この本はまた別の回で紹介予定です)が、本書単体でも問題なく読めますし、十分に面白い本です。
タイトルに「文章読本」とあるので、もちろん文章の読み方が語られているのですが、しかし文章を通して「考え方」を学ぶ一冊でもあります。
まずこの点を確認しておきましょう。前回(034)でも触れましたが、読書は単に情報を受けとる行為と、その著者の思考に触れる行為に分けられます。圧倒的な速読が可能なのは前者の読書であり、現代で好まれているのもそのタイプの読書かもしれません。しかし、もう一方の読書も価値ある行為です。
なにせ「考える」という知的行為は、すべて頭の中で行われており、本来は可視化できないものなのです。だから、Aさんが「考える」と言って、Bさんも「考える」と言っても、その両者が同じものを指しているとは限りません。
たとえば、片方はWordで文章を書き、もう片方はPhotoshopで写真をレタッチしていても、どちらも「パソコンを使っている」と言うでしょうし、その発言自体に間違いは含まれていません。それと同じです。
概して見れば正しいことでも、具体的に見れば細部が違っているということは起こりえるわけです。そして、「考える」ではまさにそれが起こります。付け加えれば、これは「読む」という行為でも起こります。「読む」もまた頭の中で完結する行為であり(特に黙読では)、他人のそれを覗くことはできません。ここに面白い共通点があります。
「読む」は脳内の情報処理であり、「考える」もまた脳内の情報処理である。
それを踏まえると、著者の「考え」が書かれた文章は、そうした知的工程を可視化したものだと捉えられます。人はその文章を読み、他人の「考え(方)」を「読む」のです。
この話は掘り下げるとどんどん広がってしまうので、一旦ここまでにしておきますが、「読む」ことは「考える」ことにつながっています。だからこそ、考える能力を向上させたければ読むことは欠かせません。ただし、単に情報を受けとる読み方ではそうした能力の向上はあまり期待できない点には注意が必要です。
思考の形態学
いきなり話が脱線してしまいましたが、本書の概要に戻りましょう。本書は大きく10の章立てがあり、それぞれで「思考」について論じながら、その特徴を表す文章を例示していきます。
まずは章立てから。
- 第1章 単語の思考
- 第2章 語源の思考
- 第3章 確実の思考
- 第4章 全部と一部の思考
- 第5章 問いの思考
- 第6章 転倒の思考
- 第7章 人間拡張の思考
- 第8章 擬人法の思考
- 第9章 特異点の思考
- 第10章 入れ子の思考
たとえば第1章の「単語の思考」では、「語義縮小の思考」が紹介されます。言葉の意味をより厳密に(狭義に)して考えを発展させていくスタイルです。当然、その逆の「語義拡大の思考」もありえます。言葉の意味を大きく広げていくスタイルです。
こうした二つの「語義」の扱いを通して見た後で、私たちの「言葉遣い」からその文化の有り様を考える、という「文化を知るキーワード」という思考法も合わせて紹介されます。
この章だけでもずいぶん読みごたえがありますし、すでにメタ的に「性質が逆のものを並べる思考」と「それらから抽出できる共通性を見出す思考」という二つの新たな思考を見出すこともできます。この二つの思考は著者がまとめてくれているものではなく、私が「読ん」で考えたものですが、結局このようにして私たちは他者の思考を「読む」ことができるというわけです。
さまざまなノウハウ書には、「思考法」としてシンプルに整理されたモデルやパターンを提示してくれるものが少なくありませんが、実際は具体的にそこに躍動する他者の思考からこそ学ぶものが多く含まれているはずです。本書はそういう形の「思考の参考書」になってくれるでしょう。
最後に改めて付け加えておきますが、知的生産を構成する技能や技術は、独立的に切り出したとしても、他とつながっています。読書は読書、思考は思考、執筆は執筆と断絶しているのではありません。だからこそ、知的生産を進める上では「どう本を読むのか」が重要になってきます。「なんであれ読んでいればOK」のような態度では、知的生産の先行きは暗雲立ちこめることでしょう。
Follow @rashita2
原稿を進めつつ、自作ツールの開発をちょこちょこ進めております。Logseqを使うようになって、むしろ自作ツールの開発に意欲が湧いてきました。不思議なものです。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。