「休み時間」と「遊ぶ時間」を分ける

カテゴリー: とらえなおす



この本は少しも「難しい本」ではないつもりですが、

と指摘されることが少なくありません。



『佐々木さん、自分の時間がないんです [電子書籍]』のレビュー 佐々木正悟 (小田やかたさん) - ブクログ

読み込みが足りないのかもしれないが、私の読解力では、一度読んだだけでは、内容が頭に入らなかった。

あくまでも私の考えですが、読者さんに「読み込みが足りないのかもしれない」と思われる段階で、9割以上は著者に責任があるので、補足に努めることにします。

「自分の時間はゼロでもいい」というのは、極論だとは思いますが、言い換えれば

ということなのです。

私の考えではどんな人もおおむね3種の時間をもっていて

となるのです。

そして「3」の「遊ぶ時間」こそが、よく言われる「自分の時間」なのです。

遊びと仕事の境界線を厳密に引くことはできない

「遊ぶ時間」は、子どもには絶対に必要ですが、大人にはなくても何とかなるものです。しかしながら、大人にも少しはあったほうがいいものです。

そしてちょっとややこしいのですが、

という事実があります。

なり得るというのは、そういうケースもあるということであり、黙っていてもイコールになる、という意味ではありません

人によっては、休み時間に遊んでばかりいて、ぜんぜん休めていなかったり、仕事時間に遊んでばかりいて、ちっとも仕事をしていないということもあります。

遊びと仕事を分ける原則は、遊びは仕事の模倣だという点です。将棋は戦争の模倣であり、ママゴトは料理の模倣です。

誰もが知ってのとおり、ここにはグラデーションがあります。

プロの将棋指しという職業が、人間の社会では成り立つからです。ママゴトセットをビジネスにすることも、実際に行われていることです。

つまり遊びと仕事の境界線を厳密に引くことなどできないのです。

できないのですが、どちらかと言えば人に容易になにかを与えられるのが「仕事」であり、なにかを本当に与えるとなったら難しいのが「遊び」でしょう。

模倣では現実の役には立たないことが多いものの、模倣こそが仕事そのものであるということもあるのであり、逆に、ひたすら仕事をしているように見えるけれど、それはただただ模倣の域を出ていないということもあるのです。

私は大人になることの基本は「遊びを減らして仕事すること」だと思います。

なにを与えるのかがはっきりしない「遊んでいるような営み」で、人から対価を得たりすることは難しいのです。

仕事時間100%とか遊び時間100%というのは、理論的な話であって、現実にはあり得ません。

ただ、「遊ぶ時間」が足りないという思いに駆られて「仕事を効率的にこなし」たうえで、「休み時間」を「遊ぶ時間」に塗り替えていくのは、現代でもやはり「危険な遊び」だと思われてなりません

それではとても休まらないから疲れるし、お金もかかるのに、信用やお金は得にくくなっていくからです。

ただしこれは一般論でしかなく、そうでないケースは山のようにあって、しかも増加しています。おそらくこの増加を「社会の進歩」というのでしょう。

仕事時間で充分に依頼に応え、休み時間でガッチリ休む(生理的欲求を満たす)ようにすれば、ふつうは時間に余裕ができてきます。その余裕で遊ぶほうが健全だと思うのです。

私が「自分の時間がないんです」で言いたかったのはこういうことでもあります。

▼編集後記:



グッドバイブスのメソッドには、
 
「頭ではわかっているけど、なかなか実行できない」
「一時期はできると思っても、すぐにもとに戻ってしまう」
 
といった、やっかいものが少なくありません(笑)。
 
そこで、日々の実践をとおして疑問に思ったこと、どのように応用していいかわからないこと、どうしてもうまくいかないことなどを共有し合える機会や場所があればいいと考えました。
 
運営側からの直接の回答はもちろん、同じようにグッドバイブスを実践する方々からもアドバイスを受けられる、同好会やファンクラブのような気軽なコミュニティーです。
 
グッドバイブスファクトリー | グッドバイブス公式ウェブ


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