- 好きを仕事にする
- 仕事を好きになる
ちょっとした違いですが、えらい違いです。
本書は、以前の倉園さんをご存じの人はおそらく、「好きを仕事にする」の本なのかと思うところですが、むしろ逆です。
「今やっている仕事を好きになるための本」
だといってもいいほどです。
そんなこと、できる人とできない人といるだろうし、それができる仕事とできない仕事とあるだろう。
というのがもっともな反応ですが、それを言えば「好きを仕事にする」もほぼ同じです。
でも私は「反応」する前にこういうことは「一考」を要すると思います。
「好きになれそう」と「好き」とは違う
いい例だとは思わないのですが、わかりやすいということでやはり異性を例にとりましょう。
もう古すぎる表現ですが「一目ぼれ」というやつがあります。そういうことはもちろんあるでしょう。
でもあれば「好きになれそうな異性」を指してのことであり、それがどれほど感覚にビビッドにうったえてこようと、やはり「好きになれそうな異性」のレベルを出ないと思うのです。
そして逆もあると思います。「とても好きになれそうにない異性」を「好きになる」ということはあると思います。
仕事について、これが当てはまらないはずはないのです。
私はタスクシュートユーザーとして、「繰り返して実行している習慣を入れ替えるというのは、本当にまったく容易なことではない」という話を言いすぎるくらい言ってきました。
倉園さんの新刊を読む前からすでに、「今の時間の使い方を「もっとよい時間」と交換するというのは、本当にそれは望ましいことなのだろうか?」という深い疑問がわいていました。
そして倉園さんの新刊を読破して疑問が確信に変わったわけです。
「好きになれそうな仕事」を「大好きな仕事」と取り違えてはならないし、「今繰り返しやっていること」を「好きなこと」と見なして悪い理由はどこにもない。
タスクシュートを一週間もやれば「繰り返してやっていること」の一つや二つは必ず出てきます。必ずです。
- なぜ人はそれを差し置きたがるのか?
- そうして「大好きになれること」をわざわざ他へ探し始めてしまうのか?
「情熱の炎で7日間をburning!させる」のはいいです。
しかし、何をすれば自分がばーにんぐするのか、すでにわかっているのならばともかく、自分をばーにんぐさせるものをこれから探しに行こう! ということであれば、その前に「自分がもう繰り返してしまっていること」をより意識的に好きになった方が、より容易に人生を幸福にできるのではないだろうか。
すでに繰り返しやってしまっていることは、決して好きになり得ないでしょうか?
だれがやっても、どうやっても?
それを好きになれる方法を説いているのが、倉園さんの新刊です。
今やっていることを好きになれというのは過酷で非道なことだ、というケースは確かにあります。
でもそういうケースがすべてではありません。
倉園さんの本で説明されているやり方を忠実に実践してみても、それでもまったくうまくいかないなら、それは自分の手には余るということで、方針転換をはかった方がいいです。
逃げ出すなり転職するなり。
しかし一度試してみる価値はあります。
タスクシュートがすぐに教えてくれます。
自分がつい繰り返していること。繰り返さざるを得ないこと。全くBurningしないかもしれないけれども、離れられずにいる状況。
その色あせた灰色のような時間を好きになれたら。
人生は一変するでしょう。客観的には何にもしないまま、自分から見える自分の人生だけが一変するでしょう。