» 東京近くのフロート・アイソレーションタンクサロン【COCORODO】
個人的に、この「アイソレーションタンク」というものを一度ぜひ体験したいと、ずっと昔から思っていたのです。もう20年くらいさかのぼる話になります。
一切の感覚を遮断するというアイディア
学生の頃、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』という本にのめり込んだことがあります。それ以来ずっとコリン・ウィルソンのファンで、全作品を読んではいませんが、大半は2~4度くらい読んでいます。
中の1つに『ブラック・ルーム』という作品があります。こちらは小説です。
邦訳もあるはずなのですが、残念ながら今ではどこへ行ってもなかなか見つけられません。とは言え、はっきり言って「ものすごく面白い」というほどではないので、買って読んでいただかなくてもいいと思います。
この話は「感覚遮断実験」の話で、光も音も、可能であれば体感も何もないような空間に置かれると、人は何をするようになり、どのくらい保つかというテーマなのです。
これをより先へ進め、体が浮くような密度の液体を使って、その水温も調節し、身体感覚までいっさいを「遮断」してしまうというのが、アイソレーション・タンクです。考案したのはコリン・ウィルソンではなくて、ジョン・C・リリーという人です。
感覚遮断に私はかなり魅せられていました。というのも、私はかつて、とくに学生時代には「外的刺激の影響から人はどの程度独立できるものか?」ということに大変熱中していたからです。当時の自分は、これを100%可能にすることによって、人は「境遇にかかわらず幸せになれる」と本気で信じ込んでいました。
つまりたとえば、目の前の光景が悲惨なものであるとすると、それを「見る」ことで人はネガティブな気持ちにもなるでしょう。しかし、目の前の光景がどうであっても、その感覚を「遮断」し、代わりに自分の自由な光景を空想できれば、心情はそのフィードバックを受けることで、現実に巻き込まれずに済むかもしれない。
この話は少し大げさで、私の念頭に常にあったのは、もっとつまらない「現実」から独立したいという話でした。結局のところ何かの自己啓発書ではありませんが、「世の中みんな小さなこと」です。上司とか配偶者とかTwitterのフォロワーから何かかんか言われたなどということを、2時間も3時間もひきずりたいと本気で願う人は、皆無に等しいのではないでしょうか。
もし感覚を完全に遮断すれば自分の気持ちをよくするような想像で自分の気持ちをよくできるなら、感覚を遮断しなくても、最終的には同じことができるはずです。私はまた逆のことも考えました。もし自分の気持ちを悪くするような想像で自分の気持ちを本当に悪くできるなら、気持ちは自分の方針次第、自由自在とも考えられます。
そして幸せな「気分」というのは、気分が100%ではないにせよ、出来事が100%決めるものでもないのだから、どのくらい、自在に気分を変えやすい環境を用意できるかにかかっていると思えたわけです。
現に私はその実験を、被験者60人を使って、アメリカでやってみたことがあります。被験者の「実験直前の気分」を「気分判定テスト」で評価し、その後感覚遮断の暗室に閉じ込め、その中で気分を良くするイメージに5分だけ集中してもらう。そして再び気分判定テストで気分を評価する。結果的にはほぼ全員に、気分の向上について統計的には有意差が見られました。
その実験で私が確信したことは、イヤな気持ちにひきずられるたいていの人は、5分かけて気分を変更するような手間をかけずに日々を暮らしているに違いないということでした。
私自身が感覚遮断かで感じたことについては、来週に続きを書きますが、アイソレーションタンクに入って分かったことは「気分は自分で変えることができる」ということです。
これと「現実が解釈次第」とは少しちがいます。解釈をうけつけない現実(「このことは不幸なこと」であってポジティブ思考しようとしてもそうは出来ないような経験)はたくさんあります。でも、アイソレーションタンクのように、あらゆる解釈を可能とする現実においてなら、たしかに現実は解釈次第になるので、気分も自分で変えてしまうことができます。