苦境に陥ったとき、自分一人の経験だけでは足りないので…

カテゴリー: とらえなおす



「これから先、いったいどうすればいいのか?」という苦境に陥ったとき、役に立つのは経験です。以前にも同じような苦境を味わっていたなら、その時に何をしたのかを思い出せれば、そこから脱することができるかもしれないからです。でも、苦境の面白いところは毎回「新しい」ことです。自分一人の経験だけでは足りないのです。

では、どうすればいいか?

言うまでもなく、自分以外の経験を学ぶしかありません。人の話を聞いたり、本を読んだり、映画を観たり。

特に人の苦悩や葛藤や挫折や愛憎といったドロドロした側面に触れることは、知らず知らずのうちに彼らの経験を吸収することになります。

自分で直接経験するのに比べると、当然薄まりはしますが、味を感じる上では十分な“濃度”です。

直接経験することは、リアルな痛みや苦しみを伴う半面、そこから得られるリターンもまたリアルです。地位を手に入れ、愛を勝ち取り、財を成すことができます。

一方、「話を聞く」だけの間接的な経験では、痛みや苦しみは想像の範囲内に限定される半面、得られるリターンもイメージ止まりです。

イメージ止まりなので、よだれは出るかも知れませんが空腹は満たされないわけです。でも、感情はおおいに揺さぶられます。

「自分もやればできるんじゃないか?」「やってみたい!」

そうなると、おのずと頭の中でシミュレーションを行うようになります。

「自分だったらどうするだろう?」
「今から始めるとしたら、何ができるだろうか?」

人の話から吸収する

最近、ある方のセミナーを受講したのですが、その方は大変な読書家であり、人脈も豊富。当然ブログやメルマガでのアウトプットもひと味違うものです。

普段からその方のブログやメルマガを読んでいるのですが、セミナーで実際にその人の姿を目にし、肉声を聴くと、また違います。これは、よく言われることなのですが、実際に対面し、肉声に触れると「全然違うな」と思ってしまうのです。原理的な説明はつくのかもしれませんが、とにかく違うのです。

文章で読む分には「あー、この話、知ってるわ~」などと、ちょっとでも知っていることがあれば即座に「知ったかぶって」、流し読みしがちです。

それが、対面し、肉声を聴くと、表情の変化や間のとり方、語調、イントネーション、息づかいなど、文章には表れないノンバーバルな要素と相まって、そこに重層的な「意味の構造物」が立ち現れるのです。

「かき揚げタワー」なるものをよく耳にしますが、あのような円柱状の構造物が立体的に迫ってくる感覚です。

一方、文章で読むときでも、確かに立体性は感じるものの、それはメニューに掲載された写真のようなものであって、あくまでも平面に過ぎない、3Dではないため、どうしても迫力に欠けます。

そして、「かき揚げ」の美味しさが、これを構成する素材の質によって決まるのと同様に、人の話に“美味しさ”ついても、その人を構成する経験の質によって決まります。

希有な経験をした人の話は、たとえ話し方がイマイチだったとしても、吸引力は抜群なのです。

映像(ドラマや映画)から吸収する

直接に対面したり肉声を聴くことができなければ、映像です。

僕がドラマや映画をよく観ているのは、単純にエンターテイメントとして楽しむということもありますが、それとは別に、人の苦悩や葛藤や挫折や愛憎といったものに触れられることも大きな理由です。

あらゆる苦悩、あらゆる恋愛、あらゆる愛憎、あらゆる挫折、あらゆる葛藤、を自分一人で経験しきることはできないからです。

その面では、シリーズドラマの「LOST(ロスト)」は、非常に“濃厚”で、全120話(2時間スペシャルは2話とカウント)から成りますが、僕自身は通して4回以上繰り返し観ています。

映画は通常2時間前後、長くても3時間台なのに対して、シリーズドラマはいくらでも長くできるため、一人ひとりの登場人物を、生い立ちから今に至るまでのバックグラウンドも含めて、克明に描く(役者に演じさせる)ことができます。

「LOST」の場合、登場人物の年齢層、ライフステージ、社会的役割、抱えている葛藤などが実にバラエティに富んでいるため、観るたびに、その時々の自分の置かれた状況に応じて「今回はチャーリーの気持ちがすごくよく分かる!」と強く共感したり、「ジョンはいかにして怒りの感情を克服したのか?」という特定のテーマに注目して言動を観察したり、と実に多様な味わい方が楽しめます。

自分がいま抱えている課題と自然とリンクするわけです。

その課題の直接的な解決策が得られなくても、「まだまだやりようはありそうだ」という感情の柔軟性を取り戻すことができます。

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まとめ

人の話を聴く、映像を観る、いずれにおいても共通するのは「感情を揺さぶる」ということです。

硬い身体はケガをしやすいのと同様に、感情の振れ幅が小さいとたやすく挫折してしまうのです。

自分一人で経験できないことについて、あるいはいずれ経験することについて、人の話や映像を通して“予習”しておくことで、これを受け入れるための準備ができると考えています。

そして、自分が実際に苦境に陥ったときには、それまでに溜めた無数の経験たちが、アニメ「もののけ姫」のコダマたちのようにどこからともなく現れて、そこから抜け出すうえでの道しるべになってくれるかのように。



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