夢想がいかにして現実になるのか?

カテゴリー: とらえなおす



徹底的な夢想家である私にとって、「タスク管理」は目の前の小さなことばかりにとらわれた思慮の浅い滑稽な人間だけがやることだと考えていたのです。

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「目の前の小さなことばかりにとらわれた思慮の浅い滑稽な人間」というのはまあそうだとして、実はこの一節で一番気になるのは「徹底的な夢想家である私」です。

徹底的な夢想家

夢想家の夢見る夢想が、むしろなぜ実現しうるものなのだろう?

かつてロマン主義をさして「夢を夢見る閑人」と言った人がありましたが、夢をいくら夢見たところで、それは決して具象化しそうにありません。言葉の単純な意味においてです。夢想が無謀だとか、能力不足だとかいった話ではなく、たぐいまれ、早い話が超能力者でない限り、アタマで何かを夢想しただけでは、どれほど長く、強く、激しく夢想しても、なにひとつ具体化はしないでしょう。

カニ缶は、作れるか?

「目の前の小さなこと」というのがなかなかやっかいです。

キラキラと輝く夢、と、味気ない現実。

とりあえずこういう表現が思い浮かんだのでこれにしておきますが、ほかにどう評してもかまいません。

私がこういう対比でぱっと思い浮かべるのは、カニの缶詰です(子供の頃好きだったからかな)。

いちおう断っておきますが、カニ缶は「リアル」の象徴です。ここで「カニ缶こそ徹底的な夢想家が夢見るものだ」と思われては困ります。

で、その「カニ缶」なのですが、これをつくるのって、非常に難しそうです。思い込みかもしれませんが。

素手で、カニを煮詰めるところから始めて、防腐加工して、カンヅメするという行程をこなすとなると、ちょっとやそっとでまともなものがつくれそうな気がしないのです。

目の前にあるもの、壁掛け時計とか、USBケーブルとか、メガネケースとかがあるわけですが、それらは決して「夢見る」ほどのものではありませんが、簡単に作れるようなものにも見えません。「目の前のこと」は決して簡単ではないものです。

簡単にできることしかやってないはずなのに、とてもできそうもないことをやれてしまっている…

簡単にできることって、人間にとってはほとんど何もないような気がします。ですから私が常日頃から心がけ「がち」なのは、現実に何かしなければならないことがあるのなら、なるべく「夢想」に注意を持っていかれないようにすることです。

夢想を現実にしようと思ったら、時間と能力がどれほどあってもたりない気がします。夢想そのものは簡単なのですが。ふいに、夢想してしまったようなことを「これを実現したいなあ」などといくら思っても、なにも起こってくれないばかりか、よくよく考えてみると、カニ缶1つ満足に作れないのですから、何をどうしていいのかわけがわからなくなってしまいます。

とてもできそうもないことをやろうとして、いつも挫折しているのが私でしたから、計り知れない衝撃を受けた存在でした。

これを読むと、それは、そうだろうと思うほかありません。だって、いかにも「できそう」なことですら、ふつうに失敗するのが人間ですから、「とてもできそうもないこと」なんて、いったいどうしたらできるのでしょうか?


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