「そんなこと、考えたこともない!」という驚き方がありますが、実は「考えたことがあるかどうか」は確かめようがないので、真相は闇の中。
そこで、考えたことはとにかく何でも書いておくのがいいと思います。「こんなアホなことを書いておくなんてそれこそアホらしい」というためらいが訪れるよりも前にとにかく書く、とに書く。
書いておくと、それを書いたこと自体は忘れても、後になって「なんか考えたことがあるような気がする…」という引っかかりが生じやすくなります。少なくとも書かずに放置するよりもずっと確率は高まります(個人の感想です)。
この「なんか考えたことがあるような気がする…」という引っかかりを感じたとき、それをたぐり寄せる手段を持っていると、過去の自分の考えをもとに新しい考えを接いでいくことができるようになります。
この「たぐり寄せる手段」の要件としては、以下の通り。
- 一箇所にまとまっていること
- 検索が可能であること
この2つの要件を満たすものが2つあります。1つはEvernoteでもう1つはブログです。
個人的な記録はすべてEvernoteで、そのうち一般公開可能なものはブログ、という棲み分け。
前置きが長くなりましたが、先日まさにこの「なんか考えたことがあるような気がする…」という引っかかりを手がかりに過去の自分の考えをたぐり寄せることができた事案が発生したのでご紹介します。
きっかけはFacebookに書いた、とあるカフェの訪問記録
きっかけはFacebookです。たまたま訪れた、とあるカフェについて投稿したところ、友人の一人からコメントをもらいました。
ざっくり書くと以下のような流れです。
まず、投稿したのは以下のような内容。
- 店舗が東横線の高架下にあるため、電車がとおるたびにゴゴゴゴ…という地響きのような音が店内に鳴り響く
- サーブされたコーヒーもドーナツもいずれもおいしく、店内の雰囲気も悪くなかった
- ただ、ゴゴゴゴ…という騒音を除いては
この投稿に対して友人からのコメントは以下(原文そのまま;本人より許可を得て転載)。
電車が通るたびにゴゴゴ…という音はあまり落ち着けなさそうですね…
このコメントに対して、僕からの返信(原文そのまま)。
でも、しばらく滞在しているうちに、この音が気になっているうちは精神の統一が甘いから出直してこい、という暗黙のメッセージを受信したので、暴れずに済みました。人生、いつどこで試されているか分からないものです。
まさにこのコメントを書きはじめたときです、「なんか考えたことがあるような気がする…」という引っかかりが不意に生じたのは。
ほどなくして、村上春樹さんの小説のくだりであることに思い当たります。単に「読んだことがある」だけでなく、その部分を「転記したことがある」という記憶です。
村上春樹さんの小説にはさまざまな魅力があり、人によってその嗜み方はそれぞれでしょう。僕にとってのそれは、豊かな比喩表現と世界の独特な切り取り方。
今回の引っかかりは後者の「世界の独特な切り取り方」のほうで、「苦情を言わずにおく」というシチュエーションがトリガーとなって「村上春樹さんの小説に似たようなくだりがあったはず!」という発火が起こります。
どうやって見つけ出せばいいか?
村上春樹さんの小説はほぼすべて読んでいますが、「おそらくこれかこれだな」というアタリはついていました。さっそく本棚から黄色い文庫本を何冊か引っ張り出してページをぱらぱらめくり始めます。予想通りというか、うっかりというか「うわ懐かしい!」とばかりに読みふけってしまって本来の目的を忘れそうになりました。
そのようにして30分ほどかけてアタリを付けていた数冊に目を通しますが、残念ながら該当のくだりにはたどり着けず。
「どうしたものかな…」と思ったとき、不意に「もしかしてブログに書いたりしていないだろうか?」というヒントが降りてきました。
さっそくブログの検索窓にキーワードを入力します。問題のくだりには確か「苦情」という言葉が使われていたはずなので「苦情」で検索。
すると、果たして、ヒットしました。
すっかり忘れていた文脈のなかで、そのくだりがしっかりと引用されていたのです。以下が該当部分です。
そういえば、村上春樹の小説に「期待をするから失望が生じるのだ」というフレーズが出てきます。過剰な期待は応えるのがストレスになるということはありそうです。
ちなみに、このフレーズは次のような場面で登場します。
買い物をすませてしまうと手近なレストランの駐車場に車を入れ、ビールと海老のサラダとオニオン・リングを注文して一人で黙々と食べた。海老は冷えすぎていて、オニオン・リングは少しふやけていた。レストランの中をぐるりと見回してみたが、ウェイトレスをつかまえて苦情を言ったり床に皿を叩きつけている客の姿は見あたらなかったので、私も文句を言わすに全部食べることにした。
期待をするから失望が生じるのだ。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上)』p.125より
「ウェイトレスをつかまえて苦情を言ったり床に皿を叩きつけている客」とは、「過去の自分」と「未来の自分」がお互いの期待を巡ってせめぎ合う、そのまっただ中にある「今の自分」の姿と言えるでしょう。
到底応えられないような期待は、自社の支払い能力をはるかに超えた手形を発行するようなもので、焦げ付くことが目に見えているはずです。そういう意味では、かかる時間を正直ベースで見積もり、これをスケジュールに落とすという“現金支払い”が、最もストレスフリーで安定した取引となるでしょう。
9年前に自分が書いた記事を再読し、「あぁ、確かに考えてた!」ということを思い出すことができました。
同時に、この考えに触れることでまた別の考えが浮かびました。
これについてはまた改めて。
まとめ
というわけで、
- たった一度でも考えたことはブログに書いておくと思い出しやすくなる。
と考えています。