すなわち、
「そんな細かい計画なんて、なんの役にも立たない」
という大間違いを平気で口にしています(仕方がないのですが)。
それによって、生活が大いに面倒くさいことになっています。
私の父は、寺の住職です。
イメージと違うかもしれませんが、寺の住職というのは、どこかの店長とよく似ています。
もちろん「いかにも坊主がしそうなこと」は父向きだと思いますが、「いかにも坊主のしなそうなこと」のほうは、父には向かない仕事です。果てしない書類整理やミーティング。やるなら私のほうがだいぶうまくやれるでしょう。
父のやり方の何がまずいかというと、忙しくなると、自分に何がわからなくなるかが、予測できていないことなのです。
時間がない、わけではない
たとえばミーティングには事前に準備が必要です。忙しくなければ、書類をたとえ管理し損ねて「ミーティングの後」に用意するのでも、どうにかなります。
しかし、忙しいときは、ミーティングの直後に何が登場するか、推測するヒマがなくなります。
人は、忙しくないときにはいろいろなことを、頭の中で計画しているものですが、忙しくなると、時間がなくなるからではなく、脳内が仕事内容で占有されてしまうため、計画する頭脳を失うのです。
この件は、あちらこちらで生じているわりに、非常に指摘しにくい問題です。脳内容量不足なのですが、時間不足にも思えます。精神力は不足していません。
父は私と違って非常に精力的な人なのです。ただ、だれにしたって、1度に考えることのできる最大値を超えて何かを考えることはできないのです。
実に、忙しいというのは、頭で立てられる計画量の2倍の計画を考えつづけないと、計画実行に失敗するという状況のことをいいます。
ふだんであれば、ミーティングの前と後でしなければならないことは、頭でまかなえます。仮にそれに失敗しても、後でまとめて行えばいいことです。
しかし、忙しくなると、前と後でしなければならないことを考えるヒマがなくなります。そして、後でまとめて行う時間もなくなるのです。
“遭難”していることに気づかない
私には「たすくま」がありますから、前と後でしなければならないことを「考えるヒマ」はそもそも不要ですし、やり漏らすこともありません。それでも、忙しくなるとこのへんの時間の出し入れがカツカツになってくるので、ひやひやすることはあります。曲芸師のようなことをしている、と自分に感心することもあります。
こういうことが、頭だけでやっても私より苦手な人に、たすくまやタスク管理ツールなしにできっこないのです。「そんな細かい計画なんて、なんの役にも立たない」と、彼らが言うのを聴くと、少し大げさかもしれませんが、登山の経験がないのに、地図などなんの役にも立たない、といって山に入っていくように見えます。
たとえ道がわかりきっていても、冬山に入るなら、地図をもって入らないと遭難してしまうでしょう。それと同じことなのです。わかりきったことでも、デイリーリストをもってないと、非常に忙しくなったときには“遭難”してしまいます。
ただ、ミーティングや書類管理に失敗しても、幸いにも誰も死なないので、大きな問題が生じているとは、誰も思わないのです。そして問題が忙しさを生み出し、めんどうな事態が永続的に続き、やがてそれが当然だと思うようになるらしいのです。
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