MRI検査の結果、自分に必要のないがらくたを買おうとしているとき、
浪費家の脳の島は無反応なままだった。そこで実験者たちは、ある操作を試みた。
ティアニーにVISAカードの請求書をすばやく見せたところ、反応があったのだ!
浪費家の脳にもようやく不快を示すサインが示された。未払いの2187ドル23セントのことを思い出したとき、
「島が活性化したことを示す小さなしみが現れた」という。(144)
「島」というのは脳のなかでも「自我」の形成に一役買っていると考えられ、セルフモニタリングなどとも関係がありそうだと考えられている部位です。
このエピソードから考えるべきことは多々ありますが、意外に見落とせないのが「未払いの2187ドル23セント」という表現です。
日本円に直せば約264,650円といったところでしょうか
この数字にはリアリティがあります。
もちろんVISAの請求書にもリアリティがあったでしょう。
私達は経験上、リアルとはあまりきれいな整数でないという感じを抱いています。
わざわざそのことを示してみましょう。
- 未払いのクレジット 200,000円
- 未払いのクレジット 218,431円
どうも下の方が、本当らしく思えます。
これがそもそも、記録を大ざっぱにとるべきでない大事な理由なのです。
冒頭引用の文脈でいえば、下の数字を見せられた時のほうが「島」が強く反応しそうだということです。
最近のエントリで、大橋悦夫さんが「分単位で行動記録を残す意味」について書いています。
そこでもリアリティというものの重要性について、たとえば次のような「実例」をあげています。
» なぜ分単位で行動記録を残すのか? ずっと取り続ける必要があるのか? 意味はあるのか?
・ふと時計を見ると22:57。
・今日やろうとしていた仕事はひとつも終わっていない。
・どうしてこうなった?ここで記録が残っていれば、すなわち、22:57に至るまでのジャーナルがすべて残っていれば、どの時点で“道”を誤ったのかを辿ることができます。
「記録が残っていれば、すなわち、22:57に至るまでのジャーナルがすべて残っていれば、どの時点で“道”を誤ったのかを辿ることができる」のです。
しかし、辿るでしょうか?
記録が残っていれば、辿るかもしれません。
辿る人もいれば、辿る気がしない人もいるでしょう。
なぜ、そのような差が生まれるのでしょうか。
私は、記録のもつリアリティをどのくらい信じられるかによって、その差が生じるのだと思います。
この記録は事実を示している。
そう思える人は、記録を辿るはずです。
しかし、
こんな記録、あてにならないんじゃないか……
そう思う人は、記録を辿るのがめんどうくさいと感じるでしょう。
辿ったところで、「本当の原因」にたどり着けないのであれば、意味がないからです。
記録にはリアリティが必要なのです。
「ふと時計を見ると22:57」というのはリアリティを感じさせますが「ふと気がつくと夜中になっている」というのは、いまひとつです。
リアリティは、細かなところに表れます。
1時間単位で記録している人よりは10分単位のほうが、10分単位よりは1分単位のほうが、記録にリアリティを持たせることができる。
そしてそのほうが読み返そうという気になるものです。
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この本は、まさにタスクシュートユーザー向けではないかというほど、記録をとることと、気力を無駄に使わないことの重要性が述べられています。
記録は細かいほど言い、という見出しまであります。
GTDも出てきます。
多くの人が「気力」「やる気」「モチベーション」というものを「いかに出すか、出させるか」と考えがちですが、「いかにしてそれらを出せる状況を保っておくか」が検討するべきポイントなのだ、ということを述べている本です。