好きな仕事で生きていくために考えざるを得ないこと

By: fruity monkeyCC BY 2.0


「好きな仕事で生きていくために考えざるを得ないこと」とは、ひとことで言えば人間関係です。

しかし、二言目からが難しい。

前回前々回に「分人」というテーマで書きましたが、仕事の楽しさや充実感といった問題を考えてみると、分人は大切ですが最も大切と言うべきかどうかは、議論の分かれるところだと思います。

分人はまずなにより特定の対人関係です。私であれば「妻と私」の間には「妻に対する分人」があります。これは確実です。

そのように「カスタマイズされた分人」こそが分人の基本ですが、私達はそういう分人だけで生きていけません。平野さんの言う「未分化の分人」すなわち「社会一般を生きる分人」もあります。

昨日、娘を幼稚園に送った際、バスの運転手さんと挨拶しましたが、私はその運転手さん用に分人をカスタマイズしていません。その運転手さんに対していた分人と同じ分人を、病院の看護婦さんに対しても用いています。

が、そういう社会向け分人と、個人向け分人の他に、中間程度にカスタマイズされた分人もあります。平野さんは小説家だから「編集一般に対する分人」という分人を用意することがあるそうです。これは私も同様です。

このへんでちょっと考えるわけです。

一般に、人生を楽しく生きるには、楽しくカスタマイズされた分人をどんどん作り出せるのがいい。私であれば妻との分人、娘との分人、小学校時代の親友との分人、などなどがどんどんできていくなら、それがいちばんいい。

しかし、それは実のところ、仕事とあまり関係がない。早い話、どんな分人が登場するかは、仕事をしてみないとわかりません。仕事をしてみたところで、やっぱりよくわかりません。たとえば私であれば、いろんな編集さん用の分人をこしらえましたが、「編集さんとの分人はみんな素晴らしい!だから作家になって良かった!」というものではないわけです。

仕事はほとんど「ロボット」でやるものです。こちらも私の造語ですが、「ロボット」は要するに専門のスキルです。私であれば「物書きロボット」こそ、仕事をするために必須のものです。

平野さんにしても「小説書きロボット」はいるでしょう。そしてその「ロボット」が稼働中は、ほとんどの時間が孤独なはずです。「小説書きロボット」稼働中が快適か苦痛かはわかりませんが、「愉快な分人」を生きている時とは違うと思うのです。

職場の人間関係が愉快ほうが、仕事も楽しいし人生も楽しいに違いないとは思いますが、どんな「ロボット」を稼働させるかということと、どんな分人を生きるかということとの間には、一定の相関関係があっても、因果関係はないはずです。

たとえば少年時代から野球選手になるのが夢だった人があるとします。

この人は「野球ロボット」を使いこなしますし、それをこそどんどん磨くべきです。「野球ロボット」がある程度以上発達しないと、プロ野球選手になどとうていなれませんし、それで活躍して生きていくならほとんど「野球ターミネーター」くらいに育てないとダメでしょう。

しかし私にはわかりませんが、野球選手には野球選手の「社会」がありそうです。監督やコーチとの付き合いや、同僚の選手やその他の人たちのとの付き合いがあるでしょう。

すなわち「対監督分人」「対コーチ分人」「対先輩分人」をどんどん抱えていくことになるはずです。それらは「野球ロボット」とはあまり関係ない話です。所属チームが違っても、野球をするには同じ「ロボット」を使うはずですが、一方「分人」はチームによって変えないわけにはいきませんから。

それらがみんな愉快な分人だったらいいのですが、そうとも限らないでしょう。「監督と選手の確執」みたいなゴシップ話も、真偽はともかくよく報じられます。

プロ野球選手なんだから「野球ロボット」だけ素晴らしく稼働させればいいようなものですが、実際にはどんな分人をそこで生きなければならないかによっても、ずいぶん快・不快が左右されるでしょう。

これはもちろん「ロボット」の優秀性とまったく無関係なものでもありません。そのへんが相関関係です。誰が見ても超一流という選手のほうが、一軍と二軍を行ったり来たりする選手より、生き心地のいい分人を多く持つことができると思います。

このことは、たいていの職種について、いちおう言えることだと思うのですが、そうは言ってもプロ野球ほど「ロボット」の優劣がわかりやすい世界はめったにありません。会社や学校のような空間では、比較的優秀な「ロボット」をもっている人が、それよりは劣った「ロボット」しかもってない人たちからいじめられたりいびられたりしても、そんなに不思議なことではありません。

ならいっそ私のように付き合わなければいけない人数そのものが少ない職種を選んで、大半の時間を「ロボット」だけで過ごし、リアルな分人を極小種にしぼるようにし、「分人」で生きる時間は極力抑えるという考えかたもあります。

しかし、平野さんも「様々な分人を生きる豊かさ」について書かれているように「佐々木のような生き方では淋しすぎて自分にはやりきれない」という方が多いのが実際です。

つまり「好きを仕事にする」というのは、そのへんの「自分の性格」まで十分に加味して検討しないと、結果として無意味な空想に終わってしまう恐れがあるわけです。

「運転ロボット」を使うのは大好きだが、客とのやりとりは地獄だという人に、タクシー運転手はたぶん向きません。私にはわかりませんが。

逆に、お客さんとの分人を楽しむのはすごく好きだけど、人の髪ばかりいじって一生を終えるなんてむなしい、と感じるような人に、美容師は向かないと思うのです。

▼編集後記:




「ロボット」と「分人」を分けているけれど、結局「分人」も一種の「対人関係ロボット」なんではないの?という指摘があるでしょう。たぶんそうです。

ただ私は平野さんのように「1個の本当の個人なんて幻想」という発想には行き着かなかったので、両者を分けて考えています。

逆に、「ロボット」はどれほど専門的スキルにしか見えないようでも、必ずそこに人間関係の影響を受けているのだから、それは一種の「分人」だという発想も考えられます。私はそれに大筋で賛同できますが、個人的にたとえば、1時間くらい泳いでいたことがあって、あの時は頭が空っぽに近くなるのです。あれは「水泳ロボット」がやっていたというほうが実感に近いのです。

こういう議論はまだまだつづけられます。「分人」の複雑なところまで知りたいという方は、ぜひ『空白を満たしなさい』をおすすめします。それでも飽き足らないという方は『ドーン』を読んでみてください。

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