目次案がそのままの形で最終原稿の目次として残るのは、むしろきわめて稀なことである。
木村泉さんの『ワープロ作文技術』にある一文です。
自分の著作を思い返してみても、最初の目次案がそのまま最終稿の目次となったものはほとんどありません。節レベルなら100%変わっていますし、章レベルでの変更すら珍しくありません。
なぜそうなるかというと、書いてみないとわからないことがたくさんあるからです。
知っているテーマのつもりでも、十分に目が行き届いていない部分はやっぱりあります。考えが十分に煮詰まっていないところもやっぱりあります。そうしたことは、文章化してみないとなかなか見えてきません。
そんな不十分な状態で立てる目次(案)なのですから、変更が加わるのはむしろ当然でしょう。
そうすると、
「どうせ変更されてしまうなら、はじめから作らない方が良いのではないか?」
という考えが湧いてきます。
でも、なかなかそういうわけにはいきません。
構成のたたき台
先の木村さんは、「目次案は書こうとしているもののイメージを表現するもの」と書かれています。そのイメージは、基本的には依頼主に提示するものです。「こういう本になります」というコンセプトを伝えるわけです。
しかし、イメージの役割はそれだけではありません。
自分の頭の中にあるものを、自分自身で確認する役割もあります。そうして確認した内容を元に、より厚みのある・深みのある構成を考えていくのに役立つのです。こうした手法を、野口悠紀雄さんは『「超」発想法』の中で、「自分自身と討論する」と述べられています。
話し合いを始める前には議論のたたき台が必要ですが、最初に作る目次案はまさに本の構成のたたき台として機能してくれます。
メモを育てる執筆
『「超」発想法』から引用してみましょう。
主張したい結論をまず書き、つぎに理由を述べるというように、思いついたことをどんどん書いていく。 紙の場合のように一方向的に順を追って書くのではなく、「行きつ戻りつ」という書き方になる。最初のうちは文章にさえなっておらず、単語の羅列やメモである場合も多い。何度も読み直しながら、しだいに文章化してゆく。
ここでは目次案という言葉は使われていません。しかし、「単語の羅列やメモ」が集まったものは、広い意味での目次案に加えてもよいでしょう。少なくとも、自分の頭の中にあるものを並べたものではあるはずです。
そうしたものをベースに肉付けを行い、肉付けした結果を反映して、構成のリストラクチャリングを行う。その繰り返しで、本(のコンテンツ)を成長させていきます。
二つのアウトライン
このような執筆の進め方は、以下の記事でも紹介されています。
» case3:報告書や論文を書く(Happy Outlining !)
この記事では「書きながら書くことを発見していく」方法が9つのステップで紹介されていますが、ここでも「仮のアウトライン」が登場します。
テーマがわかったら、仮のアウトラインを作成してみます。これは、最終的なアウトラインではなく、内容に肉付けしていくための仮のものです。
以上のような執筆のスタイルは、紙ベースでは非常に手間がかかるものでした。少しぐらいの修正ならともかく、段落を入れ換えたり、章の内容を分割・分離することは困難を極めます。なので、紙ベースではある程度まとまりを作り上げてから執筆を進めていくのが合理的です。
しかし、デジタルベースの__つまり現代では当たり前の__スタイルでは、「ある程度のまとまり」は書きながら作り出していくことができます。
もちろん、好みもありますし、コンテンツの種類によっては合う・合わないはあるでしょうが、デジタルの力を存分に発揮させる書き方はこちらのスタイルと言えるでしょう。
さいごに
肉付けの土台とするための仮のアウトラインと、最終的な完成形の目次となるアウトライン。この二つを分けて理解しておくと、執筆のスムーズさが向上するかもしれません。
また、「アウトラインを二度作る」の考え方は、見方を変えれば「プロトタイプ思考」でもあります。まず、プロトタイプを作ってみる。そして、そこに書き足してみる。できあがったものをチェックして、さらに書き足しす。そこから、全体像を再検討する。
そんなフィードバック・サイクルをクルクル回しながら執筆を進めていくわけですが、デジタル(&ネット)環境では、そこに他の人に加わってもらうことも容易になります。
一人の編集者さんではなく、何人・何十人かのレビューさんと負荷分散しながらフィードバックサイクルを回す。
そういう進め方も、デジタルツールを使ったライティングでは、今後当たり前になっていくのかもしれません。
▼参考文献:
ワープロと聞くと時代錯誤な感触がありますが、デジタルツールでのライティング法として面白く読める本です。
いかにしてアイデアを生み出すのか。その実践的な内容がまとめられています。
» 「超」発想法
▼今週の一冊:
かなり難しいんですが、現代のネット世界を見つめる上で、たいへん示唆に富む内容です。
「経済」の形(在り方)というのは、たぶん単一ではなくて、いろいろな形が考えられるのでしょう。そして、根本的な部分で私たち人間は変わっていません。その意味で、経済合理性を基盤とした経済と、贈与が支配する経済のハイブリッド(あるいは止揚)が、あたらしい経済の形として立ち上がってくるのかもしれません。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。