『知的生産の技術』(岩波新書)の中で、読んだ当初に一番困惑したのが「日記」でした。こちらのシゴタノ!の大橋悦夫さんなどは、メモ魔であると同時に「日記魔」でもあるので、その大橋さんにあれこれ「日記論」を語っていただいてたのですが、どうもよくわからなかったのです。
私も「メモ魔」ならなりたいと思ってきました。しかし「日記をつけるという習慣」はほとんどまったくありませんでした。
ご存じの通り『知的生産の技術』の中で梅棹さんは「京大式カード」というものを標榜されていて「日常生活において、ものごとの記録には、すべてカードをつかっている」わけです。何でもかんでもカードに書いてある。その他になぜ、日記を書く必要があるんだろう、と私は思ったわけです。
梅棹さんも一度ならずそんなふうに感じたのでしょう。次のようなくだりがあります。
さまざまなできごとや、かんがえたことなど、その日いちにちの活動の具体的内容—とくに知的活動の内容—は、すでにそれぞれのカードにかかれているのである。このうえ日記をかくということの意味は、すでにのべたところからもあきらかなように、いわば、さまざまな経験の、時間軸にそうて配列された索引をつくる、というにすぎないのだ。それならば、日記はじつは索引カードとして、作製できるはずである。
(p172:太字は佐々木による)
知的生産の技術 (岩波新書) 梅棹 忠夫 岩波書店 1969-07-21
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この一節から私は、Evernoteのある現代では、日記に特定の意味を持たせないと、やがて「京大式カード」(Evernoteならたんなる1ノート)の中に「日記」が呑み込まれてしまって、消失してしまいそうだ、と思いました。
だいたいEvernoteであれば、「絶対に記録した日時を入れておかなければならない」などと意気込まなくても、自動的に日時が入ります。そして「時系列に沿った索引」など作らなくても、時系列に並びますし、その逆順に並べるのも一瞬ですし、「表題順」に並べ替えることもできます。その上、文字列検索もできます。
(梅棹さんがEvernoteのことを知ったら「なんてぜいたくな!」と思うことでしょう。しかし「京大式カード」でたいへんな苦労をしつつ「記憶検索システム」によって作り上げられたほどの成果を、私がEvernoteから得られているとはとうてい思えません。個人的にはいやな話なのですが、苦労を経ないで得たシステムにふれていると、ありがたみを十分実感する以前の段階までしか、なかなか行き着けないようなのです)。
京大式カードレビューとしての日記
しかし私は『知的生産の技術』に沿ってEvernoteを徹底的に使い込んでみようと決めて以来、いやいやながら日記をつけてきました。確かにいくつかの発見がありました。中でも大きな発見は「一日のことを思い出そうとすると、2~3個の記憶に残る事件を経験するにもかかわらず、そのうちの1個が意識にのぼってしまい、そのせいで他の事件のことを思い出しにくく感じる」ということです。
こんなことはふだんから日記をつけていた人には先刻常識だったと思います。しかしこの経験を何度かしてみると、なるべく一日に起きた事件の大きさを公平に扱いたい、と思うから不思議です。結果として、少なくとも1つの実利的効用が得られます。どんな日でもまず、1日のうちでいいことがまったく起こらなかった日というのはないので、なるべくすべての経験を公平に扱おうとするだけでも、精神の安定に役立つわけです。
しかし一番大きな変化は、私なりの「京大式カード」と「日記」との関係を見出しつつあることです。
日記をつけようとすると、「1日にあったことをまず思い出す」必要があります。しかし考えてみれば私は、梅棹さんと同じように、その日にやったことや考えたことをすべてEvernoteに記録してあるのですから、思い出す必要はないのです。ノートを見返せばいいだけです。
見返して、日記を書く。これは、タスクログのレビューなのです。あるいは京大式カードのレビューなのです。
そしてこれを週単位で繰り返すと、ログのレビューのレビューが追記されます。ここから私は理解したのですが、まさに私の記憶とはこのように上書きされることにより強化され、歪曲されてきたのです。
その上に大きなメリットがありました。いわゆるGTDの週次レビューとは少し違うのですが、このやり方なら、レビューを定期的にやらざるを得なくなります。そしてレビューの感想を「書く」ことにもなります。書くということの意味は、他人に向けて思考を整理するということです。『知的生産の技術』にもあるとおり「頭の中は支離滅裂」なもので、書き出すことによってその支離滅裂さを自覚できるし、整理もできるというわけです。
結局私は「日記」をつけるうちに「記憶を整理する」ということを定期的にやらざるを得なくなったということになります。
知的生産の技術 (岩波新書) | |
梅棹 忠夫
岩波書店 1969-07-21 |
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最近になって「さっきまで覚えていたのに!」というすごいストレスを覚えたとき、マインドマップを使って「さっきまで覚えていたことを思い出す」という方法を試みています。
これで、33%くらいは成功しています。打者だと思ったらすごい高確率です。とは言え3回に2回はストレスが残ってしまうのですが。