「考具」としてのiPadの立ち位置

カテゴリー: R25世代の知的生産

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photo credit: mbiebusch via photopin cc

「MacBook AirとiPadが競合してしまう」

という話をよく聞きます。

確かにMacBook Airを常時持ち歩いているとiPadの存在感は薄くなってしまうかもしれません。かくいう私もMBAをいつでも持ち歩き、文章を書く作業はすべてそれで行っています。

ではiPadの立場がまったくないか、というとそうでもありません。

デジタル文房具として捉えれば、iPadにはいろいろなメリットが見つかります。


備えなくても良い

自由に書けるアナログノートは、大変便利で私も重宝しています。しかし、外出先で「あっ、あのノートを使いたい」と思っていてもカバンに入っていなければどうしようもありません。

しかし、iPadなら、iPadさえ持っていれば複数のノートにアクセスできます。


※シェルフに並ぶノートたち

また、ペンのサイズや色の種類をいっぱいに筆箱に詰め込む必要もありません。一応私はいろいろと詰め込んで持ち歩いていますが、それでも「万全」とか「完璧」とは言えないでしょう。突然「少し赤みがかった紫色」を使いたくなる可能性だってあります。そういう可能性全てに対して備えることは不可能です。

iPadなら、そういう備えをあまり気にする必要はありません。ペンの色もサイズも、付箋の限界も、ノートのページ数の残りも気にすることなく使い始めることができます。


※スタイラスペン一本でさまざまなペンの表現が可能

紙の限界を超える

全てのアプリ、というわけではありませんが、たとえば「むげんメモ」というアプリだと、「用紙サイズ」という概念がありません。

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紙だとA4あたりが標準で、持ち運べるとなるとA3ぐらいがぎりぎり限界でしょうか。デジタルのキャンバスを持つiPadであれば、それを悠々と(もちろんメモリ的限界はあれど)超えることができます。



小さく書き始めて、



どんどん大きく、



視野を広げていくことができます。

指で動かせる感覚

上の二つは、アナログ文房具に対してのiPadのメリットです。逆にデジタルパソコン(って変な表現ですが)に対するメリットもあります。

その一つとしてデジタルデータを指で動かせる点が挙げられるでしょう。前回紹介したように、デジタルデータを付箋化し、それと戯れるような使い方が可能です

もちろんパソコンでも付箋を扱うアプリケーションはいくらでもあります。が、その操作はマウスかキーボードを介さなければなりません。実際にやってみると分かりますが、「指で直接操作する」というのは非常に心理的摩擦係数が低いものです(一般的に「直感的」と呼ばれる)。つまり、よけいな精神的エネルギーを使わなくて良い、ということです。

事務的な整理作業ならともかく、発想などの行為においては重要な要素と言えるでしょう。

さいごに

発想を行うツール、つまり「考具」としてのiPadの価値はまだまだ過小評価されているような気がします。

その役割はMacBook AirともiPad Miniとも違うものです。その点を踏まえて、iPadを眺めてみると、新しい立ち位置が見えてくるかもしれません。

▼今週の一冊:

たまには小説でも。しかもSFです。

出版社を介さず、個人で出版された電子書籍オンリーの本書。それだけも注目に値しますが、中身もしっかり書かれていて充分に楽しめます。

遺伝子工学の”デザイナー”が、ふとしたきっかけから大きな事件に巻き込まれていく。ストーリー自体はそれほど目新しいものではありませんが、SF的世界観の構築が実にうまい。「仮想的現実」的なお話が好きな人なら楽しめるかと思います。


▼編集後記:




これを書きながら、「もともとアナログツールを使う人ほどiPadをよく使うのではないか?」という仮説を思いついたんですが、どうでしょうか?


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。


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