昨日までにTwitterでご紹介している記事のうちグッときたものをピックアップ。
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しごたの
シゴタノ!仕事を楽しくする研究日誌を書いています。
グッときた記事
今まで意識してなかったものに対して意識的になる。自動的に反応していたことを選択的にする。“刺激”に対する”反応”の間にスペースを作りだし、“自覚”を呼び起こす。この変化こそ記録がもたらすパワーの源泉であり、「記録するだけうまくいく」最大の理由なのです …
昨日のエントリーで以下のように書きましたが、
最終的なアウトプットを起点にしてルールをつくり、これに基づいてレールを敷くことで、自らを望ましい方向にコントロールすることができる、というわけです。
レール作りに欠かせない“鋼材”にあたるものが記録、ということになります。
今回の記事にも「今まで意識してなかったものに対して意識的になる。自動的に反応していたことを選択的にする」とありますが、これは記録のなせるわざです。
たとえば、体重を今よりも10kg減らしたい、という最終的なアウトプットを起点にして、日々の食事や運動の記録をとることで、摂取カロリーの上限という壁に阻まれたり、運動をすることでこの壁を少し押し戻すことができたり、といった行動を促すきっかけが得られます。
次の記事。
なんか書いていくことを続けていると、「感じる能力」が高まってくる気がするんですよ。 感じたから書くんだけど、書くことでまた感じやすくなるっていうか …
この記事も、記録による意識の変化が書かれており、興味深く読みました。
最後の記事。
「これはみんな知ってるだろうな」とか「こんな下らないこと書いても。。」とかそういう気持ちを捨てて、たくさんの情報を提供すること …
ブログもまた記録の一形態です。誰もが見られる場所に置く公開の記録ですが、書き続けている限りは、自分の関心のありようが浮き彫りになってそこに蓄積されていきます。
人に見られることを意識するために、同じ記録でも自分しか見ない記録よりも一貫性や整合性に気を遣うようになります。
気にしすぎると疲れてしまいますが、適度なレベルを維持できれば、そこから得られる程よい緊張感が自分の中に埋もれた発信欲を刺激し、可能性を押し広げてくれます。
そういう意味では、ブログの位置づけを「誰かの役に立つ情報発信」ととらえるのではなく、「自分が関心を持ったことの記録」という、どちらかというとライトなものに変えることで、肩肘張らずに楽しく続けられるようになるのではないか、と考えています。
グッときたツイート
「あーこれ良い質問だなぁ」って思ったら、それはすかさずメモしておくとあとからすっごい役に立つ。今の時代に真に価値ある情報って、答えじゃなくて、多分、良質な「質問」のほう。答えなんて無数にあって良い。それよりも、無数の答えを生む「質問」を多く知っていることが大切な気がするのだ
— F太さん (@fta7) 4月 10, 2012
クエリー(検索式)さえ残っていれば、データ(知識)はいつでも引き出せる。
むしろ、データの持ち腐れに気をつける。
今日の今日訓
今日訓 0624:いまこの瞬間は2つに分けられる。1つはクラッチの入っている時間、もう1つはクラッチの切れている時間。クラッチが入っていないと加速できないが、クラッチを切らないと次の加速に進めない。 #dailyremark
— しごたのさん (@shigotano) 4月 12, 2012
グッときている一冊
記録と記憶の違いについて考えるとき、最初に言えることは自分でなんとかできるのは記録だけだ、ということ。
記憶は脳の中にいるもう一人の自分。
記録に残すことでそれを重要なものだと記憶に学習してもらう。記録をせずに「これは大事なことだから忘れないだろう」などとうつつを抜かしていると記憶も一緒にうつつを抜かし、何が重要なのかを自分で判断するすべを失う(何を聞いても「記憶にございません」としか答えてもらえなくなる)。
記録は記憶のエサのようなもので、自分にとって大事だと思うことを記憶にせっせと与え続けることによって、記憶はどんどんシャープな感性を身にまとっていく。
何かを見聞きしたときに、「これは記録して活用したい」と思わせるのは記録を与えることで育て上げた記憶の差し金。
ゆえに、記録をすればするほどうまくいく。
食べることに意識的になれば、無意識のうちに食べていたようなものは、食べなくなっていきます。
それは食べても食べなくてもよかったようなものだからです。(p.102)
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