KJ法の有効性あるいは凡人のためのアイデア整理と発想法

カテゴリー: R25世代の知的生産




「KJ法」をご存じでしょうか。

最近では、発想法と聞くと「マインドマップ」を想起される方が多いかもしれません。一昔前ではそれが「KJ法」だったと思います。

はっきり断言できないのは、私も「最近では」側の人間だからです。なにせKJ法について書かれた『発想法』の初版が1967年。まだ生まれてすらいません。

当時どのぐらい反響があったのかは知りようがありませんが、今でも書店の新書コーナーに並んでいることを考えれば、多くの人に支持されてきた内容なのだろうということは推し量れます。
※ちなみに『知的生産の技術』は1969年。

本連載も一応「R25世代の知的生産」と銘打って、若い方を想定して書いています。きっと、その世代では「KJ法って何?」という方も多いことでしょう。

私は別にKJ法を普及させるつもりはありませんが、発想のプロセスについて知っておくことには意味があると思います。少なくとも、自分なりの発想のプロセスを組み上げていく際に役立つことでしょう。

今回は、そのKJ法について少し考えてみたいと思います。


KJ法とはなんぞや?

KJ法というネーミングは、Knowledge-Jobs(知識仕事)の略ではなく、Kawakita-Jiro(川喜田二郎)という発案者の名前の略です。つまり名前自体に特に意味はありません。

KJ法の骨格は、一つの情報を一つのパーツとして扱い、ボトムアップ式で全体像を構築していく方法論です。
※具体的な方法については、下記の関連エントリーを参照してください。

大まかな流れの一例をあげると、

というものです。ここから先に図解や文章化というプロセスが待っているのですが、今回はそこまでは立ち入りません。

以上のプロセスは、複数の人が集まって行うこともできますし、一人だけで実施することも可能です。

拍子抜けするぐらいシンプルな手法ですが、少し面倒そうな雰囲気も漂います。「カードを1枚1枚書いていって、それをいちいち自分で並べ替える?」。あまりスマートな方法論には見えません。若干泥臭い感じもします。

実際、頭の中で考えごとを進めたり、トップダウン式でアイデアを考えていくのに比べると、一手間か二手間ぐらいは多くなります。その点を指摘してKJ法を批判する人もいます。

反「KJ法」派

私が読んだ本の中で、はっきりとKJ法に反旗を翻しているのが立花隆氏と野口悠紀雄氏のお二人です。

立花隆氏は『「知」のソフトウェア』の中で、「KJ法は役に立たない」と明言した見出しをかかげられています。野口悠紀雄氏もその内容を引きながら、『「超」発想法』の中で、KJ法は発想の能率を低下させかねないと懸念されています。

ただし、どちらの意見でも、原理そのものが否定されているわけではありません。

一例として『「知」のソフトウェア』から引けば、

KJ法の原理は非常に重要なことだということはわかっていた。しかしそれは、別に川喜田二郎に教えられるまでもなく、昔から多くの人が頭の中では実践してきたことなのである。別に珍しいことではない。

と書かれています。

簡単に要約すると、「頭の中でやっていることを、いちいちカードでやるなんて非効率じゃないか」となるでしょうか。この指摘には説得力が感じられます。

問題があるとすれば、頭の良い(と呼べる人)にとってはこのような作業が比較的簡単にできるとしても、凡人(と呼べる人)にとってはそうではない、ということです。

KJ法の有用性

大きな概念を構築していくのはかなり脳に負荷がかかる作業です。

全体像の大きなイメージを想起しながら、個別のパーツがその全体像とどのような意味的関係を持っているのかを考慮に入れ、それぞれを適切に配置していく作業を行わなければいけません。
※この文を読むのすら負荷がかかっていると思います。

将棋盤に駒を並べずに、頭の中で進める「目隠し将棋」というものがありますが、それと同じぐらい高度な作業です。

もちろん、それが苦もなくできる人は脳内で処理してしまうのがもっとも効率的でしょう。そういう人は「いちいち駒を並べて、それを動かすなんて」と思うかもしれません。しかし、将棋を始めたばかりの人にとっては、駒の存在がなければゲームを進めることすら困難です。

KJ法もそれと同じです。苦もなくできてしまう人に取っては無用の長物に見えてしまうかもしれません。極端な言い方をすれば凡人のための発想の補助装置がKJ法です。

そういう補助装置的側面から見れば、

というのがKJ法の肝になります。

発想の途中経過をカードと空間を使って記録することで、脳のリソースを別の作業に振り分けられる、というのがポイントです。

さいごに

何かを発想するというプロセスは基本的に脳内で行われている何かです。それはカードを使っても使わなくても変わりません。

あくまでカードはそういうプロセスを補助するツールでしかありません。しかし、そういうツールがあるおかげで、凡人(普通の人)でも発想を行えるようになった、というのがKJ法の一つの価値です。

私は必ずしもKJ法が最善の発想法であるとは考えてはいません。具体的な手法についてはそれぞれの人で最適化していくのが一番です。しかし、そのプロセスの中で一体何が重要な要素なのかは確認しておく必要があるでしょう。

今回は脳内リソースの省エネというのがポイントでした。KJ法にはそれ以外にも重要な要素があります。それについては回を変えて紹介したいと思います。

 

▼参考文献:

KJ法について詳しく知りたいならば、本書を読むのが一番手っ取り早いです。

▼関連エントリー:

ブレーンストーミングとKJ法
KJ法について


▼今週の一冊:

行動経済学の本です。この本の続編にあたる『不合理だからすべてがうまくいく』を読んでから購入したんですが、本書も面白かったです。

単純な知見では、類書が多く出ていますが、「面白くよめる」という点では本書が飛び抜けています。わかりやすい身近な実例と、それにマッチした文章運び。どんどん読み進めたくなります。堅苦しい学術書を毛嫌いする方でも安心して読み進められるでしょう。

こういう本を読んでいると、人の行動を補助するツールって重要だなとしみじみ感じます。


▼編集後記:




脳内リソースの話は、実はGTDにも通じるものがあるんですよね。あれも基本的には脳がやっていることをツールに「外部化」しているだけなんで。そう考えてみると、効果あるものとないものの線引きが出来そうな気がします。あるいは効果あるものの作り方なんかも。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。

倉下忠憲、北真也
PDF: 226ページ


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