最近、割とランニングが継続出来ております。毎日ランニングとかは無理だし、別に毎日じゃなくてもいいと思っています。
そんな中ここ最近は、週4-5回くらい走ることが出来るようになっております。
これは、スーパー怠惰な私にとっては手放しで自分自身を心の底から褒めちぎってやりたいくらい「立派」なことです。
スリムになってモテたいでもダメだった
一般的に、ランニングをする、などの「運動」は、健康のためだとかダイエットのためだとか、そういう理由があるのではないかと思います。
運動すれば健康的だぜ!とか言われても、そんなことはアタマでわかってても実現出来るような崇高な人格は持ち合わせておりません。
もうちょっと俗っぽく、ダイエットして痩せてかっこよくなってモテモテな人生を送りたいぜ、とか思ったけど、ダメでした。だって、痩せてもモテるかどうかなんてわかんないもん。
だいたい、モテかどうかってのは太ってるとか痩せてるとかじゃないのです。痩せたらモテるとか世の中なめすぎなのです。
こんな風に、運動することで得られる「理想的な結果」が想像出来ない「大変な事」は、やっぱり続けられませんでした。
痩せると良いことがあるぜ、とか、なんとなくはわかるんだけど、イマイチ現実味が薄いっていうか、なにが良いのかってのがはっきりと見えてこないのです。
走ること自体に目的を作る
運動すればこういう風にすんばらしい人生を送れるんだぜ、とか言われても、1日や2日運動したくらいですんばらしい人生が訪れるはずもなく、並大抵の妄想力では、走るという「大変な事」を続けるモチベーションなんてのは続かないわけです。
とは言え、たまには私も「健康的になる」という崇高な理念の元に走るという事が出来たりします。一ヶ月に一回くらいそんな事があります。
そして、この前たまたまそんな理想的な私が現れて、ちょっと走ってみました。
そしたら、これがなんだかすんごい良かったのです。なにが良かったって、なんかここ最近全然出来ない「ゆっくりなんか考える」っていうのを、ダラダラ走りながら見事に実践出来たのです。
入ってくる情報が少ないおかげで「考えごと」ができる
つい先週にも書いたのですが、ワタクシ3個以上やらないといけないこととかが出てくると、頭の中がごちゃごちゃしてきて、なにやろうか、ってよくわからなくなってきます。
こういうときに、敢えて「走る」ってのが、すんごい良かったのです。
色々やることがあっても、アタマがごちゃごちゃしててやる気にならない。とは言え、一応やることはやらねばという気持ちはある。でもやりたくないぜ!って気持ちも負けない。
そんな時に、走る。
走ってるときは基本的に、走るか、考えるくらいしか出来る事がない。そうすると、暇だから考える。考えごとをする。
じっくりゆっくり考えてみると、結構ごちゃごちゃした頭の中が整理されるのです。
そして、こういうときに考えつくことっていうのが、机の前では全然出てこないような事ばかりなのです。
これが実にうれしい。とても嬉しくて、楽しい。
パソコンに向かっていると、考えるための情報量が多すぎて、なかなかまとまらない。そんな時に、あえて自分の頭の中しか考える材料がないような状況だと、意外に普段出来ないようなことが出来ちゃったりする。
考えるしか出来ない状況ってのが貴重
そんなの、歩いてるときとか電車乗ってるときとかでも出来るでしょう、とも思うのですが、これだとダメなのです。
私は、歩いてるときもiPhone見てたりしちゃいます。電車の中でもiPhone見たりしちゃいます。見なければいいとか言われても、余裕があるせいで見ちゃいます。ネットしてるのは楽しいので、やめようと思っても抑制出来ないのです。
が、走ってるときはさすがにケータイをいじれません。さすがに走ると考えるくらいしかできません。この、無理矢理にでも作った考えることしか出来ない状況、ってのがなかなか貴重で、走りながら考えごとをするのがとても楽しくなってきているのです。
一つ注意するとすれば、走るのに頑張りすぎると、さすがにアタマがぼーっとして考えごとが出来なくなるので、こんなペースならいくらでも走れるぜ、くらいのダラダラしたペースで走るのが大事です。(1km/9分とかで走ってます)
こんな感じで、走るって事の目的を、考えごとをするためだぜ、って決めてみたら、わりと走ることそれ自体が十分な動機を持つようになって、思ったよりも長続き出来ております。
▼五藤隆介:
デジタル&シンプルライフLove。デジタルを最大限活用して「めんどくさくない」シンプルな生活を目指す。goryugo.comの中の人。