体験の経験値を引き上げる「手術ノート」

カテゴリー: R25世代の知的生産


心臓血管外科医の山本晋さんが書かれた『心臓外科医の覚悟』の中で「手術ノート」というものが紹介されていました。Evernoteだけではなく、アナログノート好きの私としては興味津々なところ。

今回は、この「手術ノート」について紹介してみます。

二種類のノート

「手術ノート」は、海外留学の際、先輩医師の術式を覚えるために山本さんが実践されていた方法で、二種類のノートの使い方から成り立っています。

殴り書きメモ

まず、一つ目はメモ用のノート。手術が終わった後、次の手術までのわずかな時間に覚えている限りのことをノートに書いていくというものです。

そのノートには、コセリ先生の使った針、糸、手術器具からはじまり、彼の運針方法(どの角度から針を入れて、どちらの方向に運針を進めるか)等々、覚えていることはすべて殴り書きにした。

当然4時間以上かかる手術の全てを15分ぐらいの休憩時間でメモすることはできません。とりあえず書ける分だけ書くというスタンスで、手術と手術の間に時間が空いた場合などに、書き足りない部分を埋めていくという作業を行っておられたようです。

まとめノート

二つ目のノートが、さきほどの殴り書きメモを症例ごとにまとめたもの。いわゆる清書ノートです。これは病院勤務が終わった後、自宅で(ほぼ徹夜で)書かれていたそうです。

その日一日の手術を、症例ごとにまとめていく。日付や手術番号を最初のページに書き込み、術前にスケッチしたCT画像を次に挟み込む。その後に、殴り書きのメモを傍らに、コセリ先生の手術を思い出しながら、皮膚切開から始めて、一つ一つ詳細に再構築していく。できるだけ詳しく、術野(じゅつや)のスケッチも随時描き足して、コツコツと書き進めていく。ノートの記載が、手術の進行と同時に進んでいくような気分になる。

これを一年間ほど続けて、清書ノートの手術番号が500を超えたところで、山本さんは「もうノートを取らなくてもコセリ先生の術式が頭に入っていることに気がついた」と書かれています。

頭と手は直結している。頭の準備はできた・・・・・・と思った。


3つのメリット

デジタル時代にこのような「手仕事的」ノートの取り方をみると、回りくどいやり方に見えます。最終的に完成した清書ノートだけを見れば、ネットから情報を探してコピペすれば一年なんて時間はかからずに似たようなものが__もっと豪華なものだって__作れるでしょう。

しかし、そのような豪華絢爛な清書ノートを作成したとしても、手術をよどみなく行えるようにはならないはずです。外科医の仕事は手術をすることであって、ノートを作ることではありません。だからこそ、この「手術ノート」は自分で書いていく必要があります。言い換えれば、この「手術ノート」の作成は手術トレーニングの一環となるでしょう。

ということを踏まえて、この「手術ノート」のメリットを3つあげてみます。

イメージによる経験値の増幅

「知識」は、自分が覚えていて必要な時にすぐに取り出せる状態になっているものです。同じようにある種の行動もその具体的なイメージが頭の中にあれば、「知識」と同じように自分のものになっていると言ってよいでしょう。スポーツ選手などがイメージトレーニングに時間を使うのもこのあたりに理由がありそうです。

「手術ノート」も、手術後にまず内容を思い出し、さらに帰宅後のまとめノートを取る際にも手術内容を想起しています。こうやって何度も何度も術式を脳内で再生している行為が、そのイメージを脳に焼き付ける効果を生みだしているのでしょう。

重要なポイントは、単にメモからノートに転記しているだけではなく、「それがどういうものだったのか」を想起しながらノート上で手術を再構築している、という点です。手術室の中の出来事を追体験していると言ってよいかもしれません。これによって一つの体験から得られる経験値を二倍にも三倍にもすることができます。

書くことによる整理・検証

これはノートだけに限ったことではありませんが、考えを文章の形に落とし込む際にかならず直面することです。本の中では「『わかっていたつもり』が暴かれる」と表現されていますが、漠然と考えているだけのことは、自分自身で本当に理解できているのかどうかすらわからない状態になっています。

文章として(あるいはスケッチとして)書き出す事は、「この辺までは分かっている」ということを確認する作業でもあります。「敵を知り、己を知れば・・・」という言葉がありますが、自分がどのくらい理解できているのかを知るのは向上のために欠かせない要素です。

インプットの精度向上

著者の山本さんは、次のように書いています。

アウトプット(ノートにまとめること)を前提とすれば、インプット(手術を見ること)も真剣にならざる得ない。

たぶんBlogを高頻度で更新されている方は実感があるのではないかと思います。アウトプットする事を前提にすると、情報のインプットに変化が出てきます。視線が変わると言っても良いかもしれません。「何か面白いことはないかな」と常々考えるようになるわけです。書評を書いている方も、同じような本の読み方の変化があるのではないでしょうか。

手術の見学、日常風景、一冊の本、どれをとってもアウトプットを前提にしておくと、いろいろな事柄がよりくっきりと目に入るようになります。これはやり始めてすぐに体感できることではないでしょうが、続けていけば着実に「目の付け所」が変わってきます。
※この記事もアナログツールの使い方やメリットに注目してこの本を読んだところから生まれています。

さいごに

今回は術式を自分にインストールするための「手術ノート」を紹介してみました。

ノートには「忘れるため」の使い方と、このように「覚えるため」の使い方の二種類があります。両者に共通するポイントもあれば、違った方向性のものもあるでしょう。アナログとデジタルのツールの使い分けも、このあたりに潜んでいるのかもしれません。

アナログ式で手間を掛けて自分の手を動かしたり、転記したりする行為は、イメージを膨らませ、磨き上げ、脳内に定着していくことにつながっています。もし、貴重な体験をしていると感じたら、それを殴り書きであってもとりあえずメモし、後からそれを振り返りつつまとめていくのがよいでしょう。それが体験からより経験値を引き出すコツです。

▼合わせて読みたい:

「忘れるためのノート」としては、この本が参考になります。ビジネスパーソンのノートは学生のノート作りとは違うという観点に立って書かれた一冊です。

メモとして書いたものを見返して活用する、という点についてはこの一冊が参考になります。実際にどのようにノートを見返せばよいのか具体的にふれられています。

▼編集後記:

 前回のエントリーで告知しましたが、2月26日に『EVERNOTE「超」知的生産術』が発売になりました。

Evernote関連売り場に行っていただいて目に付いた青い帯の本があれば、それがこの本です。キュレーションという言葉が近頃重要なキーワードとして語られていますが、やはりなんからのアウトプットがあってこそのキュレーションだと思います。アウトプットを前提としたEvernoteの使い方について興味をお持ちの方はぜひチェックしてみてください。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。

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