“夏休み”に想うこと

カテゴリー: Journal

気づいたらもう夏休みですね、子どもたちは。

フリーランスや自営業の人って夏休みを取るのが大変です。規定があるわけではないし、あったとしても「あってないようなもの」というか、メールや電話がかかってくれば対応しないわけにはいかないわけですから(そのぶん普段からついだらだらしてしまっているので帳尻は合ってるかも?)。

いっそ、(ありがちですが)南の島にでも逃亡して、連絡の取れない状態にしてしまえばのんびり休める(休まざるを得ない)のではないか、とも思うのですが、それはあくまで妄想であって、実際にそんなことをすれば夏休みは取れてもそれ以外の全てが取り返しのつかない事態になるでしょう。

とはいえ、日々のプチ現実逃避があるからこそ、仕事のやる気をキープできていることを考えると、時にはゴージャスな現実逃避があってもいいかも知れない。その反対側には夜が明けるまでパソコンから離れられないくらい仕事をする時もあるのだから。

そんな夏休み気分ゆるゆるで、今週の「発想七日!」のお題「夏休みのお供」に取り組んでみたいと思います。

たとえば1週間、どこかでのんびり過ごすとしましょう。あなたが
「夏休みのお供」
として携えていきたいものは何ですか?

本であればタイトル、音楽であればアルバム名。
PCであればそれで何をするかなど、できれば具体的に。
昔の思い出でもかまいません。

1週間といえば、かなりのんびりと旅行ができる時間ですね。最近はぜんぜん行けていないですが、2年くらい前はよくNYに遊びに行っていました。12時間の時差があるし、片道半日以上かかりますからおいそれとは行けないのですが、慣れ親しんだ日常を離れることは思いのほか良い刺激になります。最近僕の中で流行している「交感神経を刺激する」のに打ってつけです。

そんなはるばる飛行機で12時間の先にある非日常を楽しむのも良いのですが、そんな時でも毎日の慣れ親しんだ習慣から離れるのはやはり不安です。特に普段はそれほど意識しないながらも、それがなくなるとそのありがたみを痛感するようなモノ。

僕の場合、それは音楽です。

先月、大阪出張があったのですが、直前まで仕事に追われてばたばたしていたため、iPodの充電キットを忘れてしまいました。本当にいま聴きたい、ベスト・オブ・ベストな曲だけを注意深くチョイスしながら大事に聴いていたのですが、さすがに2泊3日も持つはずがなく、ついに2日目の午後に音楽を失ってしまいました。

音楽と言えば、テレビで「音楽が記憶を甦らせる」というエピソードが紹介されていたのを思い出しました。その番組についてのエントリを1本書いています。

番組後半で、しゃべることもままならなくなってしまった高齢のおばあさんが出てくるのですが、音楽療法によって、ふだんは一言も口を聞かない彼女が一緒に歌い始め、かつて聖歌隊の一員だった記憶が甦る、というエピソードです。

音楽なしには生きていけない僕ですが、改めて音楽の偉大さを痛感したのでした。

あー、同じようなことを書いてますね。。

でも、同じようなことを書いていても、違うんです。

週記のススメの中でご紹介した「週記のすすめ(1)」には以下のようなくだりがあります。

過去の自分と比較できる

そのようにして新しく考えたことであっても、書いてみると、以前のノートとあまり変わり映えがしないように感じることが多いと思います。考えたことを書いて残しておけば、思考の堂々めぐりを防ぐことができます。

逆に、いつも同じ結論になってしまうことで、自分が揺らいでいないことを確認したくなるようなトピックもあります。

つまり、「あー、また同じようなことを書いている!」という自分に気づくことで、確固たる揺るぎない自分を再認識できるわけです。

自分は何が好きかについて、何かを求めている時には割と明確に持っていたりするものなのに、ひとたびそれを手に入れてしまうと途端にあいまいもやもやになってしまいがち。

本当は、手に入れてからこそが始まりなはずなのに。

持つのは簡単だが、うまく使うのは難しい。状態への移行よりも、動作の継続のほうが難しい。頂上に登るのは大変だけど、波に乗り続けるのはもっと大変。

こうして“南の島”でどう過ごすかに思いを馳せている今のこの気持ちを失うことなく、“南の島”に着いてからも楽しく波乗りができればいいなー、と思っています。

人生の夏休みはまだ当分先です。

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