以下のポストを読んで、ふと1985年の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のあるシーンを思い出した。
人生は「運」の要素が強すぎるので、必ず『時間のポートフォリオ』を組むようにしてる。
80%の時間を「他人に説明して納得してもらえる活動」に使い、20%の時間を「他人には納得してもらえないけど自分は可能性を感じる活動」に使う。
結果だけ見れば「説明不能な20%の活動」にいつも助けられてる。
— 佐藤航陽(さとうかつあき) (@ka2aki86) August 9, 2023
人生は「運」の要素が強すぎるので、必ず『時間のポートフォリオ』を組むようにしてる。
80%の時間を「他人に説明して納得してもらえる活動」に使い、20%の時間を「他人には納得してもらえないけど自分は可能性を感じる活動」に使う。
結果だけ見れば「説明不能な20%の活動」にいつも助けられてる。
主人公のマーティが高校のダンス・パーティーで「Johnny B. Goode」をノリノリでギター演奏するシーン。
演奏後に、ぽかんとした聴衆に対して
まだ君たちには早すぎたかな。でも、君たちの子どもは気に入るよ。
と伝える。
自分ではどんなに自信を持っていても、あまりに新しすぎると理解が得られない。
そうなったら、理解を得ることはいったん諦め、雌伏して時を待つしかない。
「他人には納得してもらえないけど自分は可能性を感じる活動」からはそんなニュアンスを感じた。
ところで、このシーンのことはScrapboxにメモしていたのだが、そのメモを探すために「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で検索したら、別のシーンのメモが先に見つかった。
むしろこちらのシーンの方がしっくりきた。
マーティが高校のラウンジのような場所でまだ十代の父ジョージに向き合い、以下のような会話を交わすシーン。
- 父:SF小説を書いているんだ。宇宙からの訪問者とか…
- マ:そんな才能があったなんて知らなかった! ちょっと読ませてよ。
- 父:だめだよ、誰にも見せたことないんだ。
- マ:なんで?
- 父:もし才能がないと言われたら? 君には分からない不安だ。
- マ:いや、分かるよ。よく分かる。
父はせっかく「自分では可能性を感じる活動」に打ち込んでいるのに、それが理解されない不安や否定される不安が大きすぎて、得られるかもしれないチャンスを逸している。
マーティのようなよき理解者、すなわち最初のフォロワーがいれば、この不安を克服できたかもしれないのに。
最初のフォロワーといえば、デレク・シヴァーズの以下の動画を思い出す。
最初のフォロワーというのは実は一種の指導者でもあり、彼の勇気ある行動が1人の変人をリーダーに変えるのです。
自分のことをふり返ってみても、「可能性を感じるものの、あまりにもマニアックすぎる活動」に打ち込み続けた過去があり、その活動に興味を持ってくれた最初のフォロワーがいてくれたことで今がある、ので実によく分かる。
不安があっても自信がある限りは、最初のフォロワーが現れるまで黙って薪をくべ続けるしかない。