今回取り上げるのは「タイトル未定」というタイトルの本ではありませんし、何を取り上げるのかがまだ決まっていないのでもありません。
単純にまだ書かれていない本が100冊目の本だ、という話です。
改めて知的生産について
梅棹忠夫によれば、知的生産とは「頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出する」行為です。
本を丹念読み込むこともよいでしょう。そこから何かをじっくり考えることも欠かせません。しかし、それだけで終わっているならばそれは「知的生産」ではありません。知的生活ではあるでしょうが、知的生産活動とは言えないのです。
最後の最後「ひとにわかるかたちで提出する」を行ってこそ、知的生産は一つの終わりを迎えます。それがどのような内容であれ、どのようなクオリティーであれ、提出までたどり着いたものが知的生産なのです。
よって、ここまで99冊の「知的生産の技術書」を紹介してきましたが、これらの本を読んで終わりにしていたので知的生産とは言えません。また、ある程度実践してみても、何かを「提出」にするに至らなければ同じことです。
むしろ話はすべて逆でしょう。何かを提出したいという気持ちがあるからこそ、こうした「知的生産の技術書」を読むのではないでしょうか。であれば、まずはその目標を達成することです。自分で何かを書き表すのです。
人それぞれの「知的生産の技術」
もう一点押さえておきたいのが、知的生産の技術は結局は人それぞれである、という点です。
人によって「頭のはたらかせ方」はことなるでしょうし、作り出そうとする「あたらしいことがら」も違った形をしているでしょう。すべてに共通する、汎用性の高い方法はありません。それぞれの方法は、属人的なものに落ち着くでしょうし、同じ人でも時期によって使う手法は異なってくるかもしれません。
だからあなたの知的生産の技術はあなた自身で組み上げる必要があります。99冊の本を読んでも、999冊の本を読んでも、あなたの知的生産の技術がそこに書かれていることはないでしょう。便利な手法や考え方を知ることができても、それらを選り分け、組み上げ、調整していくことはあなた自身の手で行っていく必要があります。
ある意味で、そのプロセス全体が「頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を」生み出す行為だと言えます。そうです。知的生産の途中までです。
であれば、あとは最後の一押しだけでしょう。
あなた書く本
上の二つを統合すれば、あなたはあなたにとっての「知的生産の技術書」を書いていくべし、という指針が見つかります。
何も梅棹と肩を並べようというのではありません。平々凡々な人間の、平々凡々(だと思われる)技術を語っていけばいいのです。
とは言え、間違いなく言えることですが、あなたが自分のために知的生産の技術を調整すればするほど、その技術は「平凡」なものではなくなっていきます。その人のなりの個性が効いた「技術」がそこには生まれているはずです。そうした技術は──99冊の本がそうであったように──それを読む人に刺激やインスピレーションを与えるでしょう。
もう一度言いますが、何も大作を仕上げる必要はありません。実直に自分のやり方を書き表せばいいのです。そうして説明する中で、自分自身の技術についての理解が深まることもあるでしょうし、それを読んだ人からの反応で新しい発見があるかもしれません。
そうしたものが得られたならば、また新しい「知的生産」に取り組んでいきましょう。
さいごに
というわけで、最後を飾る100冊目はあなた自身が書く「知的生産の技術」です。これが「読む」と「書く」をつなげる一番手っ取り早いバイパスだと個人的に思います。
皆さんも、よく読むことをしながらも、合わせて書くことにチャレンジしてみてください。まさにそこれそが「知的生産」なのですから。
では、一年にわたる長い連載にお付き合いいただきありがとうございました。読んだ本の感想なども倉下に寄せていただければ幸いです。
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2009年から書かせていただいているこのシゴタノ!ですが、この記事を持って一旦連載を終了させていただくことになりました。ありがとうございます。来年からは自分なりの新しいWebサイトを作っていこうと考えています。それもまたこの時代の「知的生産」活動と言えるかもしれません。ではまた、お目にかかれる日まで。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。