- 『考具』(2003)
- 『文房具を楽しく使う ノート・手帳篇』(2004)
『考具』
発想法・アイデアに関する本です。アイデアや企画を考えることはどういうことなのかを検討し、必要な情報が入ってくるための方法、アイデアを展開するための方法、アイデアをまとめるための方法が列挙されています。
ポイントは本書のタイトルにもなっている「考具」でしょう。考えるための道具。この視点はとても有益です。
たとえば、農耕作業でも手でやるのと、牛に引かせるのと、機械を使うのとでは、大きな違いがあります。広大な土地を人の手だけで耕すのは、そもそも無理があります。言い換えれば、道具を使うことで、それまでできなかったことが可能になるわけです。
考えることも同様です。道具が広げてくれる可能性があるのです。
一方で、それはやっぱり「道具」です。目的に沿って作られた道具は、用途によって適切さが変わってきます。万能の道具はありません。状況や目的によって使い分ける必要があります。本書もそういった観点から、さまざまなシチュエーション別に考えるための道具が紹介されています。
さらに、「道具」はどこまでいっても道具です。使わなければ意味がありません。道具それだけで生産的になることはありません。適切な文脈で用いてはじめて効果が発揮されます。実践が大切だということです。
もう一点付け加えれば、「道具」は取り換えがききます。合わなければ変えればいいですし、不要ならば一時的にお別れを告げてもいいでしょう。さらに、必要ならば新しく作ることができます。つまり、発想やアイデアというものを「個人の能力」に限定しなくてもいいのです。むしろ、個人+道具という形で、その能力の発揮が考えられます。ずっと自由な捉え方でしょう。
上記は大げさな話に感じられるかもしれませんが、たとえば横罫のノートと、方眼のノートで「書き方」や「書く感じ」が変わってくるならば、まさに個人+道具のセットで知的能力が発揮されている証左と言えます。そうした話はあちらこちらに転がっていることを考えれば、そこまで突飛な話でもないでしょう。
道具は大切です。
しかしそれは、目の前にある一つの道具が大切ということではなく、「道具群」が存在していることが大切なのです。
『文房具を楽しく使う ノート・手帳篇』
こちらの本は残念ながら入手しにくくなっていますが、類書がないので取り上げさせていただきます。
タイトルからすると文房具を紹介する本のように思いますが、ポイントは「楽しく使う」の部分です。ノートや手帳を「どう使うのか」が論考されています。
たとえば著者は自分の体験を振り返りながら「一冊にひとつのプロジェクトをまかせたこと」がうまくノートを使えた原因ではないかと考え、その理由を探っていきます。単に自分の使い方がうまくいくのだと主張するのではなく、「なぜそうなっているのか」を誠実に考えていこうとするのです。昨今のノウハウ書は「うまくいく」ことをアピールしようとするばかりに、その主張を裏付けるための論考が浅くなっているものが少なくありませんが、そうした浅い論考はどれだけロジカルに組み立てられていても──結論ありきな時点で──ほとんど役に立ちません。
その点、本書はさまざまな観点から「ノートを使う」ことが考察されています。そこで提示されるノウハウが直接的に自分の役に立たないとしても、そうして「ノートを使う」ことを考えた経験は何かしらの形で自分自身の運用においても活きてくるでしょう。
たとえば、以下は示唆に富む部分です。
私たちは仕事、遊び、ウェブサイトと、いろいろな自分を演じています。そのフェイズごとに別々のノートが存在すると、たとえばそれぞれのノートを開くときにきっちりとその世界に没入でき、心の切り替えも容易です。やりたいことがいっぱいあって、自分自身の生活が複雑になるほど、シンプルなノートたちが無理なく自然とあなたをバックアップしてくれるかもしれません。
上記は、ノート一冊に一つの「プロジェクト」を割り当てる方法を補強する論述ですが、ノートの話を離れても有益さがありそうです。「生活が複雑になるほど、それを切り分けるためのシンプルなツールが役立つ(かもしれない)」。この考え方は、デジタルノートの運用においても役立つでしょう。
このように掘り下げて論考してあれば、具体性を乗り越えて、抽象的に応用できるようになります。本書の他の部分も、「情報の扱い方」の論考として楽しく読めるようになっています。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。