知的生産の技術書061~062『バレットジャーナル 人生を変えるノート術』『今日の自分を肯定する 箇条書き手帳術』


今回は061と062を。近年に発表された、アナログノートの手法です。

『バレットジャーナル 人生を変えるノート術』

本書が発売された2019年は、スマートフォンやクラウドツールが当たり前になっていたわけですが、その中であえて「アナログノート」の使い方が紹介されています。

しかも、デジタルツールが使えないから仕方がなくアナログノートを使っている、というような消極的な姿勢ではなく、デジタルツールが使えるにもかかわらず、あるいはデジタルツールが使えるがゆえにアナログノートを使う、という一見逆説的な姿勢になっています。

どういうことでしょうか。

簡単に言えば、デジタルツールはさまざまなことができすぎるがゆえに気が散りやすいのです。皆さんも覚えがあるのではいでしょうか。テキストエディタで文章を書いているときに、ついTwitterを覗きたくなる。あるいはYouTubeを検索したくなる。そういう気もそぞろな状況がデジタルツールでは生み出されやすくなります。

何も当人だけが悪いわけではありません。広告やインプレッションをベースにしているツールは「どれだけ人の気をひけるか」が最大の課題になっており、そのための方策をさまざまに張り巡らせています。更新通知やそれに類するあらゆるものが「チェックしなければならない」という私たちの気持ちを駆り立てるのです。

少なくとも、アナログのノートであればそうした心配は──いまのところ──ほとんどありません。もちろん、アナログノートを使っていても脱線することはあるでしょうが、その可能性はずいぶんと抑えられます。

それだけではありません。大抵のデジタルノートツールは、存外に「思い通り」使えないものです。どこにどんな情報を配置するのかについての大枠はツール開発者が決めており、ユーザーはその枠組みの中での「カスタマイズ」しか行えません。すると、微妙に使い勝手の悪い状態で使い続けなければならなくなるのです。

その点、アナログノートは基本的にどこに何を書くのかは自由です。さらにバレットジャーナルというメソッドでは、モジュールの考え方を取り入れることで、そのカスタマイズ性をより向上させています。自分の使いたいように使えるのです。

またバレットジャーナルの特徴でもある「箇条書き」も、情報過剰状態においては有用です。デジタルであれば、文字数の制約がないのでいくらでも詳細を書きつけてしまい、結果後から見たときに「情報圧」を感じる状態になりがちです。手書きで箇条書きを行うバレットジャーナルは、シンプルに書きつけるがゆえに、後から見返してもそれほど負荷が高くならないノートが書けるのです。この点は、アウトラインを電子的に扱える「アウトライナー」というツールとも共通性があるでしょう。

ともかく、多機能でなんでもできて、すべての情報が高密度で保存されているノートが、人間にとって使いやすいノートとは限らない、という点はきわめて重要です。

デジタルノートツールとの付きあい方を改めて考える上でも、アナログノートの特性とその使い方を振り返っておくことは有用でしょう。

『今日の自分を肯定する 箇条書き手帳術』

本書もバレットジャーナルに関する書籍なのですが、その内容を補強したり発展したりするというよりは、ある不足を補う位置づけになっています。簡単に言えば、「きちんとやらなければダメだ」という価値観を再考するための一冊です。

バレットジャーナルというメソッドは、本来的に完璧主義とは距離があるものです。すべてを適切に管理するならば、間違いなくデジタルツールを使う選択がよいでしょう。そうせずに、手書きのノートを使うということは、「完全完璧な網羅ではなくていい」という割り切りを受け入れているはずです。

しかしながら、メソッドとして確立され、上記のように書籍で解説され、インターネットでも「うまくいっている状態」を公開している人がいると、自分も「きちんと」やらなければダメだ、という気持ちになってきます。これはバレットジャーナルというメソッドに関して言えば本末転倒な結果でしょう。そもそもが、完璧完全を目指すものではなかったはずだからです。

本書は、そうしたメソッドとその実行にまつわる「あるある話」が率直に開示されています。私たちは超人ではないので、「きちんと」できるはずがありません(というか、きちんとできないからメソッドを必要としているのです)。だから、ノートがうまく書けない時期があってもいいし、バレットジャーナル以外で情報を扱ってもいいはずなのです。でも、なかなかそうは思いにくいですし、真面目な人ほどその傾向が強いでしょう。

そうしたときには視点の変更が効きます。「メソッドが主で、自分が従」ではなく、「自分が主で、メソッドが従」だと視点をひっくり返すのです。

うまく継続できない自分、偏った自分というのがまずあって、その自分に合わせてメソッドを使う。そういう考え方にたどり着ければ「きちんとやらなければダメだ」という価値観に苦しめられることは減るでしょう。

もちろん、そんなに簡単に変更できるならば、それは価値観とは呼ばれないでしょう。自分の根っこに染み込んでいるからこその価値観です。とは言え、「価値観だから変えられない」とはじめからさじを投げるよりは、少しずつ、時間がかかってもじわじわと好ましいと思える方向に変える道を進んでいく方が建設的ではないでしょうか。

知的生産の技術書100選 連載一覧

▼編集後記:



さて、8月も終わりです。何が理由なのかはわかりませんが、先週くらいから原稿の進みがよくなってきました。気温の変化なのか、体調の変化なのか理由は不明ですが、進められるうちに進めておきたいと思います。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中

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