ちなみに、講談社現代新書には面白い知的生産の技術書があるので書店や古書店でざっと眺めてみるのもよいでしょう。
- 『知的生活の方法』(渡部昇一)(1976)
- 『考える技術・書く技術』(板坂元)(1973)
『知的生活の方法』(渡部昇一)
「知的生産」と対になる言葉として「知的生活」があります。本書は、その知的生活をいかにして送るのかという「方法」を提示した本ではありますが、もう少し言えば著者がどのような指針と方法を持ってそうした生活を送ってきたのかを開示する内容でもあります。個人性が漂白されたヒョロヒョロの一般論ではなく、まず著者自身がこのように生きてきた、そこから言えること言おう、というスタイルなわけです。
では、その知的生活とは何かと言えば、ここで難しい問題が発生します。知的生活における「知的」と、知的生産における「知的」は、重なる部分はあるものの基本的には違ったニュアンスを持つのです。
知的生産における「知的」は、情報的ないしは情報処理的というニュアンスで使われています。人間の脳が何かしらの情報処理を行っているとき、そこには「知的」さが発揮されると見なせます。たとえそれが小学生のちょっとした思いつきでもそうです。
一方、知的生活における「知的」は、もっとハイ・インテリ字ジェンスなニュアンスがあります。教養的、ということです。その意味で、戦後から脈々と受け継がれている人格主義的教養主義の系譜を継ぐ一冊だと言えるでしょう。この点は、本書がP・G・ハマトンの『知的生活』に強い影響を受けていることからもうかがえます。たしかに本書は「方法」を提示してはいますが、それに加えて(あるいは並行して)知的生活を啓蒙する本でもあるのです。
よって、そうした分岐のルート(つまり、人格主義的教養主義へのルート)を辿る場合は、ハマトンの著作にあたってみるのもよいでしょう。そちらは具体的で役立つノウハウというよりは、ある種の「姿勢」が示されているだけなので、具体的な「技術」の習得にはあまり貢献しませんが、知的・教養的に気分を盛り上げてくれることは間違いありません。
また、現代的な知的生活という点では、00x(番号は未定)で紹介する堀正岳さんの『知的生活の設計―――「10年後の自分」を支える83の戦略』がルートになります。こちらは、現代的な知的生産の技術の文脈でもう一度登場してもらうことになるでしょう。
『考える技術・書く技術』(板坂元)
著名な『考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則』(バーバラ・ミント)とよく似たタイトルですが、別の本なので注意してください(ミントの本もまた後の回で取り上げます)。
本書もまた、知的生産の技術を開示する本であり、基本的な著者がさまざまな対象に、どのような工夫を凝らしているのか、という話が語られます。面白いのは、梅棹忠夫と同じように「カード」を使った知的生産を行っているにもかかわらず、その運用方法がまるで違っている点です。
梅棹は一種類の規格化されたカードを、特に区別することなく運用していましたが、板坂はテーマごと・重要緊急度ごとにカードの「色」を変えていました。専門とそれ以外、中期の仕事とそれ以外などの分け方で違う色のカードを使っていたのです。
この時点で、知的生産の技術に唯一の正解がないことがよくわかります。逆に言えば、複数の本にあたり、その内容を点検しない限り、「人によって具体的なやり方は結構違う」ことが見えてきません。特定の人のノウハウに傾倒することは悪いことばかりではありませんが、それでも多様なノウハウに一通り目を通しておくことは健全性の点では重要でしょう。
もう一点、本書で注目したいのは文章的な面白さです。あるいは軽妙さと言い換えてもよいでしょう。『知的生活の方法』はずいぶんずっしり書かれていますし、『知的生産の技術』も文章的には読みやすいものの少しだけ学者的な硬さがあります(学者なのだから当然ですが)。
一方で、この『考える技術・書く技術』は単に読みやすいだけでなく、軽妙であり、さらに言えば文章的な面白さもあります。この点は、──非常に入手しにくくなっていますが──同じ著者の『何を書くか、どう書くか―知的文章の技術』も同様です。これらの本において、著者は読者に対するサービス精神を発揮させることの重要性を説いていますが、まさにその実際例がその本で提示されていると言えるでしょう。
さいごに
今回は、『知的生産の技術』からスタートした二つの分岐ルートを提示しました。
一つは、知的生活・教養主義のルートで、知的な在り方に価値を見い出す姿勢へと接続していきます。もちろんそれは立派なものですが、「知的でないもの」(と自分が判断したもの)を見下す姿勢につながりかねない危険性を秘めている点には注意が必要でしょう。
もう一つのルートは、知的生産の技術ではあるものの、梅棹とは違った方法論を確立しているルートです。実際のところ、今後紹介する数々の書籍においては、むしろ「梅棹のカード以外」の方法を提示しているものがほとんどです。『知的生産の技術』が非常に広く読まれたにもかかわらず、梅棹のカード法をその通りに実践している(できている)人の著作があまり見られないのは、注目したいテーマではあるでしょう。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。