まず、「Evergreen notes」というコンセプトがあります。
Evergreen notes(Andy Matuschak)
- Evergreen notes should be atomic
- Evergreen notes should be concept-oriented
- Evergreen notes should be densely linked
- Prefer associative ontologies to hierarchical taxonomies
昨今のデジタルノートに関する技法は、この「Evergreen notes」がよく参照されています。非常に人気のあるコンセプトであり、極めて「デジタル」的なコンセプトでもあります。
なぜ「デジタル」的かと言えば、上記の4原則は「リンク」というデジタルノートの機能を最大限発揮するようにデザインされているからです。アナログツールでは、なかなかこうはいきません。
しかし、まったく不可能でないことは過去を振り返ってみればすぐにわかります。
梅棹のカード法
上の4原則を十分に咀嚼した上で、1969年に出版された『知的生産の技術』(梅棹忠夫)を読み返してみると、驚くほどその内容に呼応する部分があることに気がつかれるでしょう。さすがに、上記のように綺麗にコンセプト整理がなされているわけではありませんが、しかし実践されていること、注意を向けている点はほとんど変わりないといっても過言ではありません。
- 「カードは、豆論文である」
- 「カードは、一枚に一つのことを書く」
- 「カードは、何度もくる」
- 「カードは、分類しない」
もし「Evergreen notes」を平易に書き直せば、このようになるでしょう。つまり、結局同じことを言っているのであり、リンク機能を持たない、そもそもパーソナルなコンピュータがまったく普及していない時代から、梅棹忠夫は「Evergreen notes」を作っていたことになります。
ルーマンのSlip Box
また、「Evergreen notes」などの欧米のデジタルノーティング技法の巨大な参照点となっているニクラス・ルーマンもまた、カードを使っていました。基本的には梅棹のカード法と同様で、しかしカードに番号を振り当て、その番号を参照することで、カード同士をつなげられるようにしている点に差異があります。
つまり、3つ目の原則「Evergreen notes should be densely linked」がより強調された形になっているのです。
ここで、「Evergreen notes should be densely linked」と「カードは、何度もくる」は別のことを言っているんじゃないか、と思われた方もいるかもしれません。そのツッコミはもっともですが、しかしこれは基本的に同じことを言っており、しかもそのことがリンク作りにおいて極めて重要になるのですが、その検討はまた後の回に譲るとして今は話を進めましょう。
ともかく、現代ではデジタルノートを使って実践されていることが、バリバリのアナログツール時代でもすでに実践されていた、という点は注目に値します。今回はその中でも、特に重要な二つの点について検討します。
ひろく使える手法
第一の注目点は、コンセプトの射程の広さです。
まず、アナログツールでも実践されていたコンセプトがデジタルツールにも適用できる、ということは単に「紙のカードのうまい使い方」ではないことは自明です。もし「本質」と呼べるものがあるならば、その名前にふさわしい何かがここに含まれているのでしょう。
また、梅棹もルーマンも学者ですが、現在のデジタルノートでEvergreen notesを実践している人は、必ずしも学問の道を歩んでいるわけではありません。その意味で、「プロだけが扱う技法ではない」という意味での射程の広さもあります。この点は、第二の注目点も関係しています。
梅棹とルーマンは、学問においてカードを多用していたわけですが、世界中には学者があまたいるわけで、ではそれらの人たちはどうだったのでしょうか。もちろんカードを使っている人もいたでしょうが、彼ら二人のようにディープに使い込んでいる人はそれほどたくさんいなかったのではないかと想像します。
その理由を考えてみると、やはり「カードは不便」という実直な答えが出てきます。カードを書くことは、最終的に必要とされる論文を書くとは異なるアウトプットを行うことであり、言い換えれば直接的な生産性はゼロに等しいものです(無論これは反論できますが、とりあえずは豆論文をいくらたくさん書いても、そのままでは論文は1mmも執筆できていない、ということだけを考えてください)。
さらに、カードは「蓄積」するものであり、単純に言えば時間が経てば経つほど数が増えていくものです。それでなくても学者は書籍や論文の山と戦う職業なので(そうであろうと勝手に想像しています)、それに加えてカードの山も保管しなければならないとしたら、それはできたら避けたいのではないでしょうか。
しかし、デジタルでは「カードの山」と物理的に付き合う必要はありません。これが第二の注目点です。学者であれば仕事なので「カードの山」と付き合うことも引き受けやすいでしょうが、そうでない市井の人が、自身の知識の探究のために「カードの山」と格闘するのはなかなか難しい(あるいは家族の同意を得にくい)のではないでしょうか。しかし、デジタルツールでは、デジタルファイルとしてその「カードの山」を扱えます。家族の誰かに迷惑をかけることも、自分の書棚を圧迫することもありません。つまり、いわゆる「独学の徒」であっても、大きな負荷なく自らのカード資産を増やしていきやすくなったのです。
まとめ
本稿で確認したかったのは以下の二点です。
- 「Evergreen notes」などで行われているノートシステムは、学問的にも使われてきたものと同種である。
- しかし、学問として行わない人でも実践できる広さを持っている。
この点を理解していただければ、とりあえずの出発点にはなるでしょう。
あとは、「Evergreen notes」とカード法の共通点を探るノードと、梅棹忠夫とニクラス・ルーマンのまなざしの共通点を探るノードがそれぞれ伸ばせそうです。
それらについては、また次回以降。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。