では、知的生産において情報を「使う」とは何を意味するでしょうか。
この点を理解しておかないと、ノートの利用方法がこんがらがってしまいます。しかも、デジタルツールだとすべての情報がフラットかつ等価に見えるのでさらに混乱が深まります。性質が異なる情報は、その扱いも変えていく。ごく自然なアプローチです。
というわけで、今回はその「使う」について整理しておきましょう。
単純な備忘録
誰かに電話をかけたくなったときに、その番号を使えるようにする、というのも「情報の利用」です。知的生産であれば、著名な本のタイトルを記述しようと思ったときに、その正確なタイトルを思い出せるように記録しておく、といったものが相当するでしょう。
しかしながら、こうした単純な備忘録については、Webを検索すれば事足りることが大半です。もちろん、Webでは見つからない情報もありますし、逆にWebでは見つかり過ぎる情報もあるので(たとえば、日本の戦艦の名前でググってみてください)、「よりよく見つけやすく」するための場として、自分のデジタルノートに情報の保管庫を作っておくことは悪くはありません。
そうした情報環境を整備するためのコスト(主に手間)と利用頻度を検討して、意義がありそうならば自前のノートを作ってもよいでしょう。
ゲットインスピレーション
単に必要な情報を思い出すのではなく、「ああ、これいいな。何か使えそうな感じがする」という情報を保存しておき、後の時点で知的生産を前に進めるため触媒として「情報を利用」することもできます。
これもその一部はWeb検索で代替できますが、大半は不可能でしょう。自分が読んだ漫画の一コマに素晴らしく感動したとして、その部分だけをピンポイントで検索で見つけるのは極めて困難です(できたとしたら著作権が守られているのかも気になります)。
そのような情報の利用において重要なのは、情報そのものに加えて「自分がそれを良いと感じた」という感触であって、当然そのような感触の情報はWebには残っていません。こまめにブログなどに書いていれば検索できるようになりますが、逆に言えばそのブログがもう「自分のノート」なわけです。
なんにせよ、得たインスピレーションを後から活用したいなら、それをどこかに「保存」しておく必要があります。ただし、これらはピンポイントで求めている情報を探す(≒検索する)ようなものでないので、パラパラと散策できる形が望ましいでしょう。昔のスクラップブックはまさにそうした用途にぴったりでした。デジタルノートでも似たようなことをしたいものです。
もちろん、インスピレーションなど不要で、自分は機械的に生産するのだ、という場合はこの手の情報は一切不要なのですっとばして大丈夫です。
知的生産の素材
上記二つと異なる「情報の利用」があります。一番扱いが難しい利用方法です。
たとえば「アイデア」と呼べるものは上記のようなアプローチではうまく機能しません。さらに、「概念(装置)」も同様です。これらは情報ではあるものの、備忘録やスクラップブックと同じように保存したところで、ほぼ役立たずです。
たとえば、概念として「功利主義」を見知ったとしましょう。それを解説したWikipediaのページをWebクリップしたとします。それで何が変わるかというと、もちろん何も変わりません。自分のノートのページが一つ増えただけです。上記二つの「情報の利用」であれば、この保存方法だけで十分に事足りていたのが、この「情報の利用」ではまったく足りないのです。
概念としての「功利主義」を利用するためには、その名前を正確に記述できることでも、Wikipediaの説明をコピペできるのでもなく、自分の言葉でその概念を説明できるようにならなければなりません。そうすることで始めて、自分がその概念を「使える」ようになります。つまり、その概念を論じたり、他の場面でその考え方を応用できるようになるのです。
この違いに気がついていないと、手当たりに次第に情報を保存していったけども、自分が「使える」情報は何一つ増えていなかった、という悲しい事態が起こります。ただ情報を集める収集と、使える概念を増やしていくことは質的に異なる行為なのです。
残された情報
では、アイデアはどうでしょうか。これも扱いが厄介な情報で、知的生産における情報管理の常なる過大だといっても過言ではありません。複雑さに対応しようとしすぎてシステムが複雑になりすぎたり、逆にさじを投げてまったく管理しなくなったりと、好ましくない結果を散々見聞きしてきました。
アイデアの管理は、知的生産の要とも言えますので、それについては次回改めて整理してみるとしましょう。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。