そうした技法たちは、独立して読めるようには書かれているものの、実際は組み合わせ使うことが可能になっています。
たとえば、「学習のルートマップ」を作り、「習慣レバレッジ」を意識して、「ポモドーロ・テクニック」を駆使しながら「教科書」を進めていく、といったことができるのです。
複数のノウハウを集めた書籍は山ほどありますが、それらの多くは個々のノウハウがはっきり独立していて、関連性も特にはありません。複数を使うことはできても、それらが組み合わさることはないわけです。
その意味で、『独学大全』に登場する技法たちはモジュール化されていると言えるでしょう。つまり、たくさんのレゴブロックがあるわけです。それらを組み合わせて、各々は自分の「独学」を組み立てていくことができます。
それだけではありません。
前にも後ろに独学が広がっている
最後の技法「メタノート」で示されているように、いずれは自分で自分の方法を作り出していくことが独学の道を歩む上では不可欠です。
しかし、いずれは自分に合わせた方法を自分で作ることになる。なぜなら、学ぶことは必然的に自分を変えることになるからだ。自身の学び方について改定していかない独学者は、いずれは行き詰まる運命にある。自分のやり方を生み出すには、まず試行し、それを振り返り、自分に合わせて調整し、手直しすることが不可欠だ。
つまり、自分自身の手によって、まだそこにない(しかし自分のニーズを満たす)新しいレゴブロックを作っていくことが、本書では推奨されています。
ここから三つの話が展開できます。
一つは、そのように自分で自分の独学ロードを歩み始めた人間は、読書猿になるということです。再び「メタノート」から引用が以下です。
書き続けられていくメタノートは、これまで独学のガイドを務めてきた本書を増補改訂するものであり、むしろあなたがこれから綴っていく、あなた自身の『独学大全』の一部となる。
言い換えれば、独自の学習者として歩みを始めた人は、(さまざまな違いはあれど)著者と同じ舞台に立っているということです。そこには貴賎も立場の上下もありません。等しく独学者であるのです。
だからこそ、二つ目の話として独学者は孤独ではない、と言えるようになります。皆が同じ舞台に立ち、それぞれの演目を演じているプレイヤーなのです。普段は目に見えないそうした独学者たちの存在が、SNSと『独学大全』の発売が組み合わさることで可視化されることになりました。素晴らしい達成です。
しかし、孤独ではないことは、そのまま烏合の衆ではないことを意味するものではありません。もし読み手が、著者を私淑するに留まらず、信奉し、信仰し、何の疑いも抱かなくなったらそれは同士とは呼べません。舞台の上に著者が立ち、他の人々が観客席で眺めているだけな状況ほど孤独なものはありません。
ある種の気概と尊厳を持って、「俺は俺の独学を作るんだ」と自らの足で歩むこと。もし同士が自分と異なる意見を持っていたら、それを闘わせ、新たな意見へと生成変化させていくこと。そうした姿勢は欠かせないでしょう。
そして、三つ目の話として、まさにそのような営為の統合が、「独学」の歴史だったのだと言えます。「巨人の肩に乗る」という表現は、多数の知の営みの集合して巨人というメタファーを用いていますが、逆に言えば、その巨人は(歴史や宇宙全体から見れば)取るに足らない小さなひとりの人間の集合でできているわけです。舞台の上で演じるプレイヤーたちです。
その意味でも、──つまり時間軸的にも──、独学は孤独ではありません。いえ、ありえません。独学を孤独などと思うのは、単なる傲慢です。私たちの後ろに独学があり、また、私たちの前にも独学は広がっています。
あなたが巨人の肩に乗った上で、あなた自身の独学を始めるとき、つまりそれまでそこになかったものを付け足すとき、あなたの営為も巨人の一部として取り込まれます。自分の学びが、自分だけの学びではなくなるのです。自らの成果を、Webという人類のアーカイブに放り投げられるのが現代の強い特徴の一つですから、そうした吸収はこれまでの時代よりもさらによく起きるようになっているでしょう。
こうして、すべての話が一つの円環に取り込まれることになります。
あなたは自分ひとりで、独学の道を孤独に歩いているように感じるかもしれません。しかし、それは多重な要素によって否定されます。そんなことは、ありえないのです。
あなたの道をゆく
これまでの日本の教育と、その価値観を引き継いだノウハウの伝授においては、教える側が提示する方法が「正しく」、それを受け取る側はその通りにやらなければいけない、という姿勢が一般的でした(あくまで個人的なノウハウにすぎないものに「教科書」の名前が冠されていることがそれを表しています)。たしかにそれは、ある種の労働を行う上では必要なメンタルモデルなのでしょう。
しかし、『独学大全』が打ち出した方向は、それとは違っています。独立的に(悪く言えば寄せ集め的に)ノウハウを集めたのではなく、一つの大きな流れを背景に据えながら、モジュール的に機能するノウハウを提供し、それらを組み合わせるところから、「自分の道の最初の一歩」を踏み出せるように設計されています。単に55個の技法を列挙するよりも、はるかに難易度の高い仕事がこの本では為されています。読み手としてだけでなく、書き手としてもスタンディングオベーションを惜しみなくおくりたいところです。
なにぜ、一つの「正しい」やり方があり、その通りにしなければならない、逸脱は悪である、という姿勢においては、新しいものは何一つ付け足されないからです。コピー&ペーストで量産される同一のもの(あるいは下位互換)が、観客席にずらっと並んでいるだけでは、巨人のサイズは変わらないでしょう。そのことは、昨今のWebの検索結果を見ればすぐに体感できると思います。
社会の中で、これほど多様性の重要が説かれているにも関わらず、ノウハウの提供がいまだにこれだけ画一的なのはさすがにもうそろそろ止めたいところです。拙著『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』も同じような気持ちで書きました。
これは、独学やタスク管理に限ったことではありません。あなたの人生は、あなたの方法で歩いてきましょう。そういう、ごく汎用性の高い話です。
ただし、それは決して孤独ではありえない、という理解も同時に必要です。
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プライベートでバタバタしていた一週間を除けば、毎日何かしら原稿の(それも書籍原稿の)進捗が生まれています。当たり前の話ですが、やはり詰まって何も進まなかった一日に比べれば、わずかにでも進む日々の方がメンタル的に良好です。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。