毎年書いてきたわけではないかもしれませんが。
で、2019年は、といえばなんといってもグッドバイブスです。
私には、今年はこれしか言えません。
2018年は、ひどい年でした。
Mid Life Crisis、中年の危機とはこういうものか。
もしかしたら死ぬんじゃないかと、本当に思いました。
まず、身内が家から失踪しました。
次に、身内が失職しました。
それから、私の本が相次いで出なくなりました。
そうして、原因不明のじんましんが止まらなくなりました。
この辺からさらに私の仕事がなくなり始め、気づくと収入が七割減という事態に陥っていました。
以上に加え、母が心臓の手術を余儀なくされ、しかも失敗に終わりました。
私の危機的状況にヒットしたこと
自分のこともあれば、自分のではないこともありましたが、なんらかの形で自分にとっての災難が面白くなるほど止まらない年だったわけです。
2019年は、その立て直しに奔走しました。
グッドバイブスは、ちょうどこのタイミングにもたらされたわけです。
最初に私が目に留めたのは、グッドバイブスの看板キーワードではありませんでした。
ひとつ意識も、恐れと不安も、意味づけも、フォースを使うのも、まともに取り組めるようになったのは2019年も夏以降のことです。
もっと私の危機的状況にヒットしたのは、
それでもおまえはまだ生きているじゃないか?
だったのです。
なにしろひどい目に遭ったが、とにかく自分はまだ生きている。死んじまったわけじゃない。
生きていれば、とにかくいろいろやれることはある。
2019年の春に、とりあえず手がけたのは、グッドバイブス流に「自分の役割」を果たすこと。それも公私の別や、収入の有無とは無関係に。
となると「身内のこと」と「自分の体のこと」が目に入ってきたのです。すぐ身の回りのことは、手がけやすい。それに、「私の役割」としてもわかりやすい。
ほどなくして身内は見つかり、身内の家も探し当て、そちらの生活は回り出しました。
残るは私の健康問題と経済問題、それから家庭問題です。
恐れることは、恐ろしいこと
私は倉園佳三さんのパーソナルセッションを受け、いきなりその3つの問題をぜんぶぶつけてみました。
- お金がなくなりそうで大変です。
- 病気がキツいです。もともと体が弱いので。
- 妻が厳しいです。
こんなもの、相談すれば、解決されるような問題でしょうか?
私は長年、カウンセリングや臨床心理を勉強してきた人間です。
こういうとき、光が見えるとすれば、それは「シャーロック・ホームズのように」感じられる推理が効くのであって、具体的に問題が解決されることは絶対にないはずです。
いかにお金がなくなろうと、倉園さんが融通してくれるわけではないし、倉園さんが病気を治してくれるわけでもありません。
グッドバイブスにくわしい人なら、こんなときの私になにを言ったらいいかは、だいたい想像がつくでしょう。
現実を悪い方向に変えなければいい。
ひとつの言い方としては、こういうことになります。
たとえば私が病気を過度に恐れると、私の体はわずかであっても、不健康な方に傾きます。
すくなくともこれをやめるわけです。
お金がなくなることを恐れることで、お金の問題が解決されることは、ないのです。
恐れることを、止めること。
たったこれだけのことですが、たいていの場合、私たちは自分の思考や行為の影響を軽く考えがちです。
ちょっとくらい不安に思っても、むしろ節約の役に立つだろうけど、未来に悪影響を及ぼすなどあり得ない。
そんなふうに、ふだんなら、思うでしょう。
でもそのときの私は違ったのです。2018年まるまるクライシスだった私は、わずかな狂いが積み重なることで、とんでもないところまで行き着きかねないことを、骨身にしみるほど、思い知らされていました。
恐れることを止めないと、致命的なほど恐ろしいところまで引き込まれかねないのです。
2019年末の私は少なくともセッションの課題を、おおむねクリアしました。
病気を怖がらなくなり(これはつまり自分の健康を疑わないことです)、妻を恐れなくなり、金欠は、これは完全とは言えないまでも、切迫感で息詰まらないようにはなれました。
恐れることは、恐ろしいことです。