だからこそ、参考になると思い、私の本の読み進め方を紹介してみます。世の中、正解のないことの方が扱いが難しいですから、参考になる情報は一つでも多い方がよいでしょう。
とは言え、特に意識して「こうしよう!」と目的を持ってやっている手法ではなく、なんとなくこうなったというラフな読書スタイルですのであしからず。
たくさん本を買い、気の向いたものを読む
まず、本はたくさん買います。別にコレクション欲求を満たしたいからではなく──それも多少はあるでしょうが──、そのときそのときで「読みたい本」が揺れるからです。
それは一週間単位でもそうですし、一日単位でもそうです。ある時期は実用書がものすごく読みたくなるかもしれませんし、ある時期は小説がすごく読みたくなるかもしれません。そのとき、手元に本がないのはつまらないものです(最近は電子書籍のおかげでずいぶんマシになりましたが)。
かといって、読みたくもない本を読むのは、歯医者に毎日通う以上の苦行なのでぜひとも避けたいところ。
そのときの自分が「読みたい」と思える本が本棚に並んでいるように、本はたくさん買っておきます。
シチュエーション別に並行で読む
本は、並行で読み進めます。私は、以下のシチュエーションで(同じ一日の中でも)読む本が違います。
- 日中の作業机
- 車内での待ち時間
- 入浴中
- 就寝前
それぞれ固い本、柔らかい本が異なります。
ちなみに難解な哲学書を読むのは、入浴中が最適です。他にすることもないので本に集中できますし、しかしそう長い時間があるわけではないので、泥沼に嵌ることも避けられます。
一読目はともかく読み終える
どのような種類の本であっても、一番最初は「ともかく読み終える」ことを目指します。ポイントは以下です。
- 頭から終わりまで読み通す
- わからない部分は、わからないなりに読む
- あまり間を置かない
本はそれ一冊で著者が「言わんとしている」ことですから、私としてもそれを丸々受け止めるつもりで、頭から終わりまで読み通します。
だからこそ──逆説的ですが──、冒頭で「あ、この本無理」と感じたものは読むのを止めます。幸いなことに生涯でそのような無理本に遭遇したのは両手の指で数えられるくらいですが、この決めごとがないと読書の苦痛値が上限を超えてしまいます。
読書というのは、自分の知らないことを知ることが含まれるので、そこには多少なりの苦痛があるわけですが、かといって苦痛が多ければ多いほどよいとは言えないでしょう。無理なものは無理とすっぱり諦めるのが吉です。
また、上記はあくまで「読書」のスタイルであって、執筆中の本に引用したい箇所を探す場合などは含まれません。そうしたものは、目次をみて、該当箇所の前後を確認する程度です。
わからないものはわからない
この「頭から終わりまで読み通す」上で重要なのが、理解できない部分に拘泥しないことです。ぱっと読んでわからないものは、だいたいわかりません。理由はいろいろ考えられます。
- 著者の書き方が悪い
- 自分の基本的な知識が足りていない
- もう少し進めばわかるようになっている
著者が自分で理解できていないことを書いているなら、読み手がそれを読んで理解できないのは当然です。それを頑張って理解しようとするのは、幽霊に肉弾戦でしょう(「のれんに腕押し」的な表現)。
また、その本が専門家に向けて書かれているなら、自分がそれを理解できないのは当然です。むしろ、それを理解できると思うのは傲慢ですらあります。そういう場合は、入門書を読んで出直す必要があります。
さらに、著者によっては、その時点ではあえてわからないように書いて、後から補足的に情報を追加して、「そうか、なるほど」を演出する人もいますし、意図的ではないにせよ、パズルのピースだけが先に示されて、後からフレームがでてきて、なるほどと理解できる場合もあります。
上記のどの場合であっても、その「わからない箇所」で右往左往していても理解が進む望みは薄いでしょう。なので、「何か書いてあるけど、自分にはここはわからないな」と割り切って前に進みます。
「そんな雑な読み方でいいのか?」と思われるかもしれませんが、そもそも何かを一回読んだだけで、それを完璧に理解することなど不可能です。丁寧に読んだところで、そうなのです。
だから、まずは一冊を読み通すことを目指します。それで「著者の言いたいことはだいたいこんなことなだろうな」とあたりをつけます。「理解」するのではないのです。
この点において、あまり間を置かないことは重要です。時間が経てば経つほど最初に書いてあったことを忘れてしまうので、できるだけ読み始めたら、読み切ることを目標とします。
読み終えたら少し寝かせる
さて、そうしてとりあえず読み終えたら、その本をいったん寝かせておきます。紙の本であれば、作業机の横にあるテーブルに積んでおきます。
そして、時間が経ったあとで、その本をパラパラと読み直します。読書中はいろいろ印をつけいますので、その部分を中心に読み返します。そのまま読書メモを作ったりもします。あるいは、本格的に一から読み返すこともあります。
その過程で、ようやく「理解」が少しだけ前に進みます。むしろ、この段階で自分はこの本のことをよくわかっていなかったんだ、ということがわかります。
さいごに
とりあえずであっても通して読めば、その本の全体像というか構造がわかります。その上で、個々の箇所を読むと、より鮮明にその意味がつかめるようになります。
もちろんここでも、完璧な理解には程遠い状態です。しかし、その本の研究者になろうというのでもなければ、それで問題ないでしょう。もっと精緻な読み方が必要であれば、またそれを持ち出してくればいいだけの話です。
まとめてみると、
- そのとき読みたい本を読む→読みたい本だからスピーディーに読める
- わからない部分に拘らないことでスピーディーさを維持する
- そうしてまず全体像をつかむ
- その後(必要であれば)個別の要素に取り組む
というところでしょうか。
重要なのは、「その本を一読しただけで、その本のことが理解できる」などとはゆめゆめ思わないことです。
▼今週の一冊:
バレットジャーナルの優れた入門書ですし、もっと広くノートとの付き合い方として学べることが多い本です。
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作業がまるっと詰まっていますが、並行してScrapboxへの移行作業を進めています。データベースの移行というよりは「作業場所の移行」というのが近いかもしれません。
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