関連づけを行うこと | Aliice pentagram

カテゴリー: R25世代の知的生産

» 前回:言葉を定義すること | Aliice pentagram



前回は、知的作用の第三要素である「言葉を定義すること」について考えてみました。今回は、第四要素である「関連づけを行うこと」について書いてみます。

小さいを大きく

疑問を持ち、観察し、言葉を定義していると、少しずつ自分の中に「小さい塊」(Fragment)が生まれてきます。

それは気づきなのかもしれませんし、新しい概念や理論なのかもしれません。どのようなものであれ、それはまだ「小さい塊」です。多くのものが、まだまだ不足している状態です。

その「小さい塊」を発展、あるいは拡張していくのが「関連づけ」です。要素と要素をつなげる作業なので、Linkingと呼べるかもしれません。

要素と要素をつなげる力

関連づけの基本は、

「すでに存在する小さな塊を集めて、より大きな塊へと編成すること。あるいは、大きな塊を生み出すために必要な別の塊を探し求めること」

です。

こうした作業は、昔の知的生産活動ではカードを用いて行われていました。着想を書き留め、それを保管し、時間をおいて「くる」ことで、新しいつながりを見出す(梅棹のカード法)。あるいは、カードを並べ、そこにある情報的近似性に基づいて、グルーピングを実施する(KJ法)。

こうした行為が、「関連づけ」です。

もちろん、こうした「関連づけ」が実際的に行われているのは行為者の脳内(認知内)であり、カードそのものはその認知作業を補助するための媒体(あるいは触媒)でしかありません。高度に発達した脳を持つ人であれば、一切の媒体の助けを借りることなく、脳内だけでこの作業を完結させることも可能でしょう。

しかし、一般的な記憶力では、そのような作業は基本的に無理ゲーです。だからこそ、カードなどの補助装置の助けを借りるのです。

刹那的な関連づけ

先ほども述べましたが、「関連づけ」は脳が持つ知的作用なので、カードを使わなくても要素同士のLinkingは可能です。しかし、それは非常に小さい規模に留まります。人間の認知の限界を超えるサイズの塊を編成することや、非常に込み入った関係性を矛盾なく包括的に定義することは難しいでしょう。

たとえば、ある本を読んでいて、「あっ、これはあのテーマに関係する話だな」と思いついたとします。まさにこれこそがLinkingです。しかし、次にそのテーマについて考えたとき、その話をうまく思い出せるとは限りません。すると、より大きな塊に再編できたはずのものが、記憶力によって限界を設けられてしまうことになります。

カードなどの補助装置を使わなければ、「思い出せるものだけ」で塊を編成しなければなりません。より大きなサイズを目指すならば、これには限界があるわけです。

関連が与える変化

小さな塊を、より大きな塊へと編成しようとするとき、擬人的に言えば、小さな塊がより大きくなりたいと願うとき、インプットにも動きが出てきます。「あれに関係することは何かないだろうか」というアンテナを張って情報を仕入れることになるのです。

つまり、Linkingの欲求は、情報摂取のスタイルにも変化を与えます。

それだけではありません。小さな塊を大きくしようとしていくとき、すでに保存してある記録の管理にも変化が生じるでしょう。成長した雛鳥を、サイズの大きい鳥かごに移すのと同じように、塊のサイズに見合った管理方法が必要となります。

つまり、情報摂取のスタイルも記録の管理も、基本的には動的なものです。どの塊がどんな風に大きくなろうとするのかを予見することはできないので、マネジメントの手法もまた柔軟性(あるいは可塑性)が求められます。

さいごに

この段階までくると、いかにも「知的生産」という感じが漂ってきます。

しかし、この「関連づけ」はあくまで展開です。展開というのは、ベースがあってこそです。つまり、疑問を持つこと、観察すること、言葉を定義することがある程度できていて、その次の一歩として踏み出す場所なのです。いきなりここだけをやろうとしても──もちろん可能ではあるのですが──持っている塊の数や、塊生成力が弱いので、生み出されるアウトプットも貧弱なものになってしまうでしょう。

だからこそ、基礎的なものは大切にしたいところです。

▼今週の一冊:

R-styleでも紹介しましたが、社会学者さん向けの教科書です。でも、社会学の学徒ではない私も楽しめました。「質」というあいまいで、あやふやなものをどう捉えるのか。非常に示唆に富んだ話です。フィールドワークなども、もちろん「知的生産の技術」なわけで、それはそれでまた別のところでも応用できそうです。

なにより、論文が「疑問の設定」と「実際的な研究」を行ったり来たりしながらできあがる、という話に共感できました。私が書く本も、だいたいそんな風に行ったり来たりしながら書いております。質的なものを捉まえるための方法、なのでしょう。きっと。

» 質的社会調査の方法 — 他者の合理性の理解社会学 (有斐閣ストゥディア)


▼編集後記:




というわけで、絶賛花粉症です。とは言え、今年は若干マシかなという印象もあります。ポケットティッシュの使用量が去年より少ないという、極めて科学性に欠ける理由なのですが。ちなみに、「行ったり来たり」という話は、以下の本の第五章とも関係してしますね。よろしければご覧ください。

» Dr.Hack (Lifehack Lightnovel)[Kindle版]



▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。


» ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由


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