『「無知」の技法』で世界と向き合う

カテゴリー: R25世代の知的生産



「私、分かりません」

いかにも「数学ガール」のテトラちゃんが言いそうなセリフです。そしてこのセリフには、学びにとって必要なものが凝縮されています。

どういうことでしょうか。

第一に、彼女は自分が「分かっていない」ことが分かっています。理解しているものとそうでないものとの線引きがハッキリしているのです。

第二に、彼女はそれを認めるだけの勇気があります。「分かりません」と言うのは簡単ではありません。少なくとも、いくらかの恐怖を伴うでしょう。でも、ちゃんとそれを表明できるのです。

なんともすばらしい力ではありませんか。

以下の本では、その力の重要性が語られています。

» 「無知」の技法 Not Knowing

「知らない」の居心地の悪さ

「知っている」という状態は心地よく、「知らない」という状態は居心地が悪いものです。つまり、理解は安心で、不理解は不安です。

だから私たちは「知ろうとする力」(知的好奇心)を持ちます。「知らない状態」を減らしたいのです。その心的傾向が、私たちの文明を進歩させてきました。知的好奇心がまったくなければ、人類の科学はほとんど発展しなかったことでしょう。

ただし、問題がないわけではありません。

「知っている」に価値を置きすぎると、「知らない」状態を忌避してしまうかもしれません。簡単に言えば、「自分にはすべて分かっている」と思い込んだり、自分が知り得ないものを拒絶したりするのです。そうやって「知っている」状態を維持するわけです。

そういう人たちは、「私、分かりません」とは決して口にしません。代わりに「ああ、それは知ってるよ」と言います。そして、学びの道は閉ざされます。

分かりませんの、次の一歩

実際の所、「私、分かりません」というセリフからは、二種類の姿勢が想像できます。

一つは、冒頭のテトラちゃんのような姿勢。「私、分かりません。だから私にもっと教えてください」という学びに対して開かれた(あるいは貪欲な)姿勢です。

もう一つは、「私、分かりません。分かるつもりもありません。もうそれ以上何も言わなくても結構です」という拒絶の姿勢です。この姿勢は、言葉とは裏腹に「私は知っていますよ」と言っています。なにせ、そこには知るべきことが何もないと確信しているわけですから。自分の「知っている」領域から足を一歩も踏み出すつもりがない姿勢の表明と言えるでしょう。

どちらに学びの可能性があるのかは明らかです。

梅棹忠夫さんは、次のように言いました。

なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の眼でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識は、あるきながらえられる。あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これはいちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている。

自分が「なんにもしらない」状態だと認めること。そして、そこから足を踏み出して前に出ようとすること。それが学びの第一歩です。

「知っている」の危険

「知らないことを知らないと言う」「分かっていないことを、分かっていないと認める」

いわゆるソクラテス的な態度です(彼は啓示の言葉にも疑問を持ちました)。この態度は、変化が早く先行きが不透明だと言われる現代では必須なものとなっていくでしょう。なにせこれからやってくる未来は「誰も分かっていない」のですから。

その分かっていないものを「分かる」かのように扱うのは、控えめに言って無謀でしかありません。「分からないもの」には、「分からないもの」に対するアプローチが必要です。

『 無限の始まり』という本の中で、著者のデイヴィッド・ドイッチュは無謬性が持つ危険性を風刺的に描きました。自分たちは間違えないと思っていると、間違えたときに決してそれと気がつかないのです。

『ブラック・スワン』でナシーム・ニコラス・タレブが警句を鳴らしているのも、知り得もしないことを「知っているもの」として扱うことの危険性です。リスクが理解できるものとして振る舞った結果、金融市場がどうなったのかは今さら書くまでもありません。

以前書いた記事で、渡部昇一さんが「自分をごまかさない精神」を大切にしている話を紹介しましたし、梅棹忠夫さんも、「最初から最後まで目を通した本でないと、≪その本を読んだ≫とは言わない」と述べられています。

どれも指し示しているのは、同じ方向です。逆に言えば、人間の基本的な性質はそれとは逆を向いているのでしょう。だからこそ、似た警句がいくつも出てくるのです。

さいごに

『「無知」の技法』の「はじめに」の中で、著者らは次のように書いています。

何かを知りたいとき、それを「知らない(not knowing)」ままでいる状態はつらい。(中略)私たちは神経学的に、予測のつかないものを避け、確実なものを好むようにできているのだ。

人間の性質がどうであれ、この世界は「不確実で、複雑で、不安定」です。そこで必要なのは、もちろん「分かろうとする努力」なのですが、それは「分かっているフリをする」こととイコールではありません。自分が分かるぎりぎりのところまで歩いて行くこと。そして、その線より先は分からないものとして扱い、安易に結論を出さないこと。そういった態度が必要です。

本書は、「知らない」の有用性を提示してくれますが、言うまでもなく本書を読んでも「分かる」ということはありません。

それが、この問題の難しいところでもあります。

» 「無知」の技法 Not Knowing


▼参考文献:

言わずとしれた「数学ガール」シリーズの第一巻。本書は数学の物語でもありますが、「学び」のストーリーでもあります。

» 数学ガール[Kindle版]


» 数学ガール (数学ガールシリーズ 1)


知のアジテーターの言葉がたくさん詰まってます。

» 梅棹忠夫のことば


鈍器クラスの分厚さで、難解さも相当ですが、知をビンビン刺激してくれます。

» 無限の始まり:ひとはなぜ限りない可能性をもつのか


「とりあえず読んでおこう」の一冊に入れるクラスの本です。

» ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質


» ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質


おなじみ知的生産本の古典。

» 知的生活の方法 (講談社現代新書)[Kindle版]


» 知的生活の方法 (講談社現代新書)


おなじみ知的生産本の古典中の古典。

» 知的生産の技術 (岩波新書)[Kindle版]


▼編集後記:




執筆中の本がいよいよ最終章に入りました。えっ、まだやってたの? という感じかもしれませんが、もうそろそろであることはたしかです。嗚呼、脱稿。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。

» 知的生産とその技術 Classic10選[Kindle版]



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