本の入り口となる第一章なのですから、この精神こそが「知的生活」におけるもっとも基本となる心構えである、と著者が位置づけていることは容易に推測がつきます。
では、「自分をごまかさない精神」とは何でしょうか。そして、なぜそれが大切なのでしょうか。
上達の方向性
第一章の冒頭で、著者の小学生時代の将棋の話が紹介されています。
小学二年生のころに、近所の子どもたちの間で将棋が流行した。
しかし、時間が経つにつれ、そのグループは二つに分かれていった。ぐんぐん強くなるグループと、そうでないグループの二つに。二つのグループの違いは何だったのか。
著者は、その違いを次のように書いています。
強くなった方の子供たちは二、三人で、あとはみんな強くならなかった。強くなった子供たちの特徴はズルをしないというまことに単純なことなのである。
所詮は子ども同士の遊びなので、ズルをしようと思えばいくらでもできます。仮にバレたところで懲罰が下るわけでもありません。
だから、相手がよそ見をしているときなどに、駒の位置を変えたり、歩をちょろまかりしたりする子どもが出てくるのは致し方ないことでしょう。
でも、そういう子どもは、決して強くならなかったのです。
考えてみれば、ごく当たり前のことです。ズルして勝負に勝つようなことを繰り返していけば、上達するのはズルするテクニックだけです。どれだけ勝負の場数が増えても、通常の勝負に対する戦略や技術が向上することはないでしょう。
この話はさまざまな物事に敷衍できます。
脳が「向上」していくためには失敗と成功を繰り返して体験する必要がありますが、どの方向が「向上」となるのかはまちまちです。ズルして勝つことが目標なら、向上するのはズルするテクニックなり、まっとうな戦略で勝つことが目標なら、向上するのはまっとうな戦略の立て方となるでしょう。
これは知的生活にも関わってきます。
文章力の向上のためには、作文の数をこなすことが必須ですが、他人の感情を煽る文章ばかりを書いているのなら、向上するのは他人の感情を煽る技術だけであって、たとえば論理的な構築力が向上することは考えにくいものです。もし論理的な構築力を上げたければ、「論理的な文章」を書くことを目標とし、その目標から見た失敗と成功を繰り返すしかないでしょう。
そう考えると、技術の話に入る前に、目標や精神的な態度に言及しておくことは大切です。
「わからない」を受け入れる
では、「自分をごまかさない精神」は、どう関係してくるのでしょうか。
「自分をごまかさない精神」あるいは、そこから導かれる態度は、簡単に言えば、
「よくわからないのにわかったふりをしない」
ということです。
わかりやすい例をあげれば、あまり理解していない知識をさも理解しているかのように扱わないことがあります。あるいは、誰かが面白いと言っていても、自分が面白いと感じないのならば、その感じ方を大切にすることも含まれるでしょう。
そうした場面で自分をごまかしてしまえば、不完全な「完全さ」が身につき、精神的な探求は音もなく止まります。当然、知的生活そのものも終わってしまうでしょう。
探求や向上がなくなることは、知的生活の終わりとイコールなのです。その代わりに、「わかったふりをする」ことだけは上手くなっていくでしょう。
「わからない」の難しさ
しかしながら、「わかったふりをしない」ことは簡単なことではありません。
一つには自尊心の問題もあるでしょう。「わかりません」や「それって、どういうことですか?」と聞くのは勇気__あるいは安定感のある自信__が必要です。
が、それだけではないでしょう。おそらく脳の基本的な傾向として、未知の要素を「わかったこと」にしてしまう特徴があるのかもしれません。
脳は、自らの経験をベースにし、時に強引な推量を働かせて、物事を「わかる」ようにしてくれます。私たちの認識は、その働きによって大いに省力化されています。おそらく「わかった」状態の方が、情報量が(=使うエネルギーが)少ないのでしょう。
「わかっていない」状態は、0でも1でもないので、情報量は大きくなってしまい、使うエネルギーも増加します。脳は、おそらくそれを好まずに、強引な形であれ、どこかに着地させようとするのかもしれません。それが「わかったふり」という形で出てくるのです。
そうすると、ある程度は意識的な訓練を用いて、「わかったふりをしない」態度を身につけることが求められるのかもしれません。とくに時間(と情報)に追われやすい現代ではなおさらです。
さいごに
「よくわからないのにわかったふりをしない」は、大切なことではありますが、一見するほど簡単なことではありません。少なくとも「自分はよくわかっていない」ことがわかっていなければならないからです。
「わかったふり」が、単なる知ったかぶりならば改善は容易でしょう。しかし、「自分はよくわかっていない」ことすら、わかっていないのならば、スタート地点がありません。
それを得るためには、日常から「自分の心の動き」に敏感になっておく必要があるのでしょうし、おそらくそれが「センス」と呼ばれるもののコアになるだと思います。
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