※著者の頭の中にあるものを、文章というラインに乗せて、読者まで届ける。
わかりやすい文章を書くためには、ここに含まれる要素__言いたいこと、それを表現する文章、それを受け取る読者__をはっきりさせなければいけません。
そのためには自問が役立ちます。自分自身に問いを投げかけ、それぞれの要素を明瞭にしていくのです。
結城浩さんの『数学文章作法 基礎編』には、良質の自問がいくつも含まれています。いくつか紹介してみましょう。
読者についての自問
読者を明瞭にするためには、次のような自問が有効です。
「読者は何を知っているか」
「読者はどれだけ読みたがっているか」
「読者は何を求めて読むのか」
執筆のアドバイスに、「特定の誰かに向けて書け」というものがありますが、これは上の自問の亜種です。あるいは、上の自問を自然に促すための補助線と言ってもよいでしょう。
著者だけでは、文章の目的は達成できません。それを読む人がいて、はじめて達成されるものです。その読み手をイメージできなければ、わかりやすい文章など書けるはずもないでしょう。なにせ、読み手視点での「これはわかりやすいかどうか」が判断できないわけですから。
読み手に関する自問は、わかりやすい文章を書く上でのコアとなる自問です。
言いたいことに関する自問
言いたいことを明瞭にするためには、次の自問が有効です。
「ここで主張したいことは何か」
言いたいことが自分でわかっていなければ、「言いたいこと表現できているか」を判断することは不可能です。
もちろん、言いたいこと・伝えたいこと・表現したいことがあるから文章を書きます。ただし、それが具体性を帯びていなかったり、曖昧だったりすることもよくあります。
もう一度、上の図をご覧ください。もし、頭の中に浮かんでいるイメージが不明瞭であれば、当然それを乗せた文章も不明瞭になるでしょう。そのままの状態では、わかりやすい文章にはたどり着けません。自問を投げかけ、形をはっきりさせる必要があります。
この自問のポイントは「ここで」の部分です。
それは一つの文かもしれませんし、一つの項かもしれません。もっと大きくなって一つの章や、一冊の本ということもあるでしょう。それぞれのレベルで「ここで主張したいことは何か」を問いかければ、輪郭線がはっきりしてきます。
表現に関する自問
表現を明瞭にするためにも、自問は有効です。
「これは事実か意見か」
「これは既知か未知か」
「この例は読者の理解を助けるか」
「自分が伝えたいことが確かに書かれているか」
事実と意見はきちんと分けて書く。執筆における基本的な心構えですが、うっかりやってしまうこともあります。特に、事実らしい書き方をしてある意見を見つけるために、「これは事実か意見か」の自問は有効です。
また、「これは既知か未知か」の問いも大切です。
著者にとっては、基本的にすべてが既知ですが、読者はそうではありません。もちろん、文章を書くときには既知と未知の区別に十分注意を払うでしょうが、書き上げた後にも問題は待っています。特に文章の構造を変えるとややこしい事態が起こりえます。
よくあるのが、ある言葉を何の説明もなく使ってしまうパターン。当初は、言葉の説明がちゃんと先にあったにもかかわらず、構造を変化させたことで、その説明がすっぽり抜け落ちてしまっている状況です。著者にとってはその言葉は既知なので、ミスに気がつきにくいことがあります。こうした事態を避けるためにも「これは既知か未知か」の自問は役立ちます。
その他の自問もたいへん優れたものですが、詳細は本書をご覧ください。
さいごに
私が思うに、有能な書き手(あるいは編集者)とは、こうした自問を__それも良質の自問を__たくさんインストールできている人のことです。
もちろんインストールしていても起動しなければ意味がありませんが、そもそもインストールしていなければ使いようもありません。
残念ながら、こうした自問を「知った」ところで、即座にインストールできるわけではありません。
実際に文章を書く中で、これらの問いを意識的に考えることで__そしてそれを繰り返すことで__、ようやく脳内に定着化できるものです。ですので、ぜひとも一度、これらの自問を使いながら、文章を書いてみてください。きっと、役に立ちます。
▼今週の一冊:
今回紹介した本の続編が12月10日に発売されます。
文章のクオリティを決めるのは「推敲」に尽きますので、今から発売が楽しみです。
Follow @rashita2
28日の段階で、まだ電子書籍の本文が完成しきっていない、というハイパードタバタタイムです。進捗率は高まっているので、このエントリーが公開されるころには発売されている……と願います。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。