» 短期集中連載 「有料メルマガを巡る冒険」 第一回 始まりの物語
そうした発見を経て、有料メルマガが私の活動の中で重要なポジションを得るようになりました。だから3年以上も続いているのです。
今回は、コンテンツ展開とメルマガの関係性について書いてみます。
テーマ設定
メルマガを開始した時点では、
「方向性は決めるけれども、テーマは限定しない」
と考えていました。
テーマを限定したメルマガが多い中で、あえてノージャンルでいってみようと思ったのです。もちろん、単なる天の邪鬼的精神からではなく(それもいくぶんありましたが)、私の興味の持ち方が「一極集中型」ではなく「多方向的アンテナ型」だったからです。
不思議なもので、ある程度続けているとブログには「枠」が生まれてきます。こういうことは書かない方がいいな、という一種の感覚的なジャッジメントです。そのジャッジメントが、そのブログの「雰囲気」を醸し出すわけですが、逆に言うとブログに書けないネタも生み出してしまいます。
また、私のブログは一日一記事更新と決めているので、ネタを消化するスピードとネタを思いつくスピードがまったくバランスしません。書きたいテーマも、ネタのストックも、溜まっていく一方なのです。
そこで、一番広い意味において「ブログでは書けないこと」をメルマガで書いていこう、と考えました。
軽く閉じた場所
「ブログでは書けないこと」
は、量やテーマ的に書けないことを意味していますが、別の観点からも捉えられます。二つだけあげてみましょう。
一つは、軽く閉じた場所でないと書けないこと、です。
ブログと違って、有料メルマガは興味・関心を持っている人しか読みません。野次馬視点でコンテンツの断片を拾い上げたり、わざわざ曲解するためだけに読むような人は、まず課金しないでしょう。つまり、コンテンツが極端な意図で、極端に解釈されてしまう可能性がずいぶん低いのです。
開いているブログであれば、書けることにある程度の制約がかかります。炎上狙いでないなら特にそうです。しかし、ある程度閉じた場である有料メルマガであれば、その幅を広げることができます。もちろん、メルマガの引用は自由なので、何を書いても大丈夫というわけではありません。あくまで、軽く閉じているだけなのです。それでも、ブログでは書きにくいようなことを、ずいぶんストレートに書くことができます。
連載空間
もう一つは、連載でないと書けないこと、です。
ブログでは、「一つ一つ積み上げていく」タイプのコンテンツが書きにくいことがあります。A、Aを踏まえてB、Bを踏まえてC、といった連載記事です。基本的にブログでは、どこから読まれるかをコントロールできないので、一つの記事で独立させておく方が望ましいのでしょう。
この記事でも、第一回を読まないで第二回だけ読んでいる方は少なからずいるはずです。もちろんそれでまったく問題ありません。
しかし、どうしても文字数が必要なコンテンツというのもあります。「A→B→C→D→E→F」と段階を踏んでいかないと、意味をなさないコンテンツです。これを「A→F」と要約してしまったら、まったく別のコンテンツになってしまうでしょう。
メルマガであれば、A〜Fまでを、一回一回の連載として書いていけますし、Fを書くときには読者さんがA〜Eまでを読んでいることを(ある程度は)前提とできます。これは「書籍」で何かを表現することに近く、ブログとは異なった体験です。
締め切り効果
では、メルマガで連載を書くことと、書籍を執筆することはまったくイコールなのかというと、それはやっぱり違うわけです。
一つの違いは、「毎週迫ってくる締め切り」です。
メルマガを始めてみて、強く実感したことの一つが「締め切りがあれば、原稿が進む」というもの。現役ライターさんからしてみれば当たり前すぎて笑われる話かもしれませんが、物書きになったばかりの私としてはインパクトのある現象でした。
私のメルマガは、(約2000字のコーナー×5個)+αの構成になっています。すると、ある連載について一週間に一度は2000字の原稿を書く必要があります。ハードルとしてはそれほど高くありません(だから続いています)。しかし、一年経ってみると、52週×2000字=10万4千字の原稿のストックができあがっています。ビジネス書1冊分ぐらいの原稿量です。
メルマガ全体では5個のコーナーがあるので、おおよそ5冊分ぐらいのテキストを一年間で書いているわけです。おそらくメルマガを連載していなければ、この量の原稿は書けていなかったでしょう。引く手あまたの作家さんなら、自分で設定しなくても締め切り地獄にはまり込んでいるでしょうが、私はそういう場所とは縁遠いところで仕事をしているので、なかなか切実な問題です。
たたき台の原稿
書籍の場合、「第一章が書けたら送信」といった感じで、原稿の節目で進捗が進んでいきます。もちろん締め切りもあるのですが、書き手としてはきちんと整えた形で送信したいので(※)、どうしても時間がかかってしまいます。
※受け取る編集者さんも整え終わった形で受信したい、のではないかと勝手に考えていますがいかがでしょうか。
が、メルマガの場合は何がどうあろうと「来週分の原稿」を書かなくてはいけません。その「何がどうあろうと」感は、有料である分強まります。無料なら「今週は、まあいいか」になり得ますが、お金を払ってもらっている以上そうはいきません。
結果的に、一週間に一度、2000字の原稿が生まれてきます。その原稿は、トータルで見れば手直しが必要なものかもしれませんが、逆に言えば手直しすれば使える原稿でもあります。0字の原稿は手直しすることすらできません。
これまでの体験から得た教訓は、「あれについてまとめてみたいから、空き時間にでも書いてみよう」という発想は、まずうまくいかない、ということです。「あれについてまとめてみたい」となったら、自分のメルマガで企画を立てるのが一番成功率が高いことがわかりました。このプロセス・マネジメントは、執筆活動においておそろしく重要です。
クイックリーなフィードバック
メルマガでのコンテンツ展開と、書籍の執筆のもう一つの違いは、フィードバックのタイミングです。
書籍の場合、読者さんからの感想がもらえるのは本が完成してからです。しかし、メルマガであれば、コンテンツが完成する前から感想をいただけます。ある意味で、プロトタイプでのフィードバックです。
実際、とある企画の中では、読者さんからいただいた感想をその後の展開に活かしました。自分ではなかなか思いつかなかったような__そして、面白い__「ご要望」をいただけたのです。また、コンテンツの掘り下げが不十分であっても、質問をいただければ、次の週にはそれについての説明を追加できます。
あるいは、企画案そのものをご提案__「こういう企画を書いてください」__いただけることもあります。単純な書き手:読み手の関係ではなく、読者の方にもコンテンツ作りに参加いただいている。そういう感触を持っています。
これって何だろうな、と考えてみると、ようするに、新しいタイプの「編集者」がそこに存在しているわけです。
コンテンツのディレクションに影響を与えたり、「読者の視点」から著者にアドバイスをする。あるいは、書き手にコンテンツの提案をする。まさに、「編集者」さんがやっていることではないでしょうか。
※もちろん、実際の編集者さんの仕事はこれだけに留まりませんが。
一人で仕事をする物書きとしては、フィードバックを与えてくれる存在が身近にいるのは非常にありがたいものです。
ブレスト環境
正直に言うと、こうしたフィードバックをもらえるのは「誰でもよい」というわけにはいきません。
世の中には、何かを批判したくてうずうずしている人がいます。対象は何でもよく、アラさえあれば何でも攻撃する、という人です。もし、そういう人にプロトタイプが発見されると、「なんだこれは。つまらん。くだらん」というフィードバックをもらってしまうかもしれません。
たしかにそのプロトタイプは、つまらなく、くらだないものかもしれませんが、そこに含まれている良い要素を伸ばしていけば面白いものになっていく可能性もゼロではないでしょう。お金を払ってまで、私の書いたものを読みたいと考えている人であれば、私と興味・関心の方向性が近しいはずです。そういう人たちならば、良いところを見出してくれる期待は高まります。
見方を変えれば、これはブレストの基本を押さえた環境を作っているとも言えるでしょう。
- ※ブレストの四原則
- 他の人が言った発言を否定しない
- 自由奔放なアイディアを歓迎する
- 質より量を重視する
- 他人のアイディアを発展させる事を心がける
孵化したばかりのアイデアは、たいていよちよち歩きです。強く攻撃されればたちまち歩みを止めてしまいます。メルマガという少し閉じた環境であるからこそ、プロトタイプのアイデアを気楽に投げかけることができます。
そういう「場」を持てていることは、一人の書き手として非常にありがたいと感じています。
さいごに
以上書いてきたようなことを、はじめから意識していたわけではありません。むしろ、大半のことは運営を続けているうちに気がつきました。新しいことにチャレンジする楽しさの一つは、こういう発見があることです。
当初はノージャンルと決めて進めてきましたが、今では(内容は雑多であるものの)「考える人・書く人の刺激になるメルマガ」というテーマが徐々に固まりつつあります。それは私が舵を切ったというよりも、そういう人が読者さんになってくれているから、という要素の方が大きいかもしれません。メルマガのコンテンツ自体もプロトタイプですが、メルマガそのものもプロトタイプ感覚で進んできた証拠です。
ちなみに「連載(と締め切り)が持つ力」は、きっとライターさんにはわかりやすい感覚でしょう。セルフ・パブリッシングを含め、誰も締め切りを設定してくれないものについては、何かしらで「連載の力」を活用するのがよいかと感じます。
ただ、読者を編集者として巻き込むというのは、メルマガなどウェブ媒体ならではの新しい感覚かもしれません。
これから書き手と読み手の関係性はどんどん変わっていくと思います。そうすると、次に上がってくるのがメルマガの「値段」についての問題です。
それについては、次回に書きましょう。
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いちおう第三回で終わりにするつもりでしたが、もう少し続きそうな予感がします。ちなみに「短期集中連載」と書いているとおり、一連の記事は「R25の知的生産」の雰囲気とはちょっと違うな、という私のジャッジメントが働いています。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。