記録を残すこと、手を動かすこと、時間をかけて対象と向き合うこと。いろいろな意味があるのだと思います。
さて、以下の記事でフィギュアスケートの羽生選手の<ノート術>が紹介されていました。
» 羽生、王子から王者へ 苦手のジャンプ、「科学」で克服(朝日新聞デジタル)
羽生結弦はそれを「発明ノート」と呼ぶ。
「発明ノート」
良い響きです。なんとなく梅棹忠夫さんの「発見の手帳」を彷彿とさせますね。その中身はいったいどのようなものなのでしょうか。すこし記事を読み解いていきましょう。
「発明ノート」の考察
ノートについて書かれている箇所は3つあります。
1つ目。
毎日のように、練習で気になったことや思いついたことを殴り書きする。スピード、タイミング、感覚……。自分が試してみて良かったことと悪かったこと、疑問点などが記されている。
「!」と「?」の二つの心の動きが、ノート書きのトリガーとなっているようです。「殴り書き」とありますので、使っているツールはノートでも、役割としてはメモに近いものでしょう。
『ハイブリッド発想術』でも書きましたが、「!」や「?」をどんどんメモしていくのは、アイデア発想においても重要なポイントです。
<ノート術1>
{気になったこと、思いついたこと、試して良かったこと、悪かったこと、疑問点}
をメモする。
ノート術2〜4
2つ目。
「発明ノート」は就寝前、布団に入ってイメージトレーニングをしている最中にひらめき、起き上がって書くこともある。「眠い、と思いながら机に向かって、ガーッと書いて、パタッと寝る。見せられるほど奇麗な字では書いてないです」と羽生。翌日リンクに立った時、ひらめきを試し、その成果をまた書き込む。
こちらも用途はメモに近いですね。
「眠い、と思いながら机に向かって、ガーッと書いて、パタッと寝る」と書いてあることから、おそらくこのノートはすぐに取り出せる場所に置いてあるのでしょう。メモにとってのアキレス腱は、「すぐに書き込めるかどうか」です。起動に時間がかかるようなツールは、まったくメモには向いていません。
また、前日の「ひらめき」がきちんと引き継ぎされ、実行に移されているのもポイントです。
メモを書いたのはいいけど、紛失してしまって、再び参照することはなかった、なんてことはないでしょうか。メモは一元管理して、いつでもそれを取り出せるようにしておくのが肝要です。
「発明ノート」は、きちんと翌日に持ち越され、それが試され、その成果がまた書き込まれます。そこに書き込まれたことはまた、明日以降に引き継がれるわけで、グルグルと良いサイクルが回っていきますね。逆に言えば、練習のサイクルの中にきちんとノートがはまり込んでいます。
よく「ノートが使いこなせない」なんて表現を見かけますが、ようするに自分がやっている行為の中にノートがきちんと位置づけられているかどうかがポイントなのでしょう。「どう使うか」ももちろん大切ですが、「どんな役割を持っているのか」がより重要かもしれません。
「いつ書き込むのか」「どんな時に開くのか」「何のために開くのか」
そういったことを考えてみるとよいでしょう。
<ノート術2>
すぐ記入できるツールを使う。
<ノート術3>
一元管理し、<明日の自分>への引き継ぎを円滑にする。
<ノート術4>
自分のプロセスの中にノートを位置づける。
ノート術5
3つ目。
悔しくて、上手な人のジャンプを研究した。助走の軌道は? 跳び上がるベクトルは? ばらばらにしたパーツを組み合わせては試した。中学や高校の成績はオール5。中でも、数学や力学は好きな分野だ。「ジャンプを科学しているわけではないですが、理論的に感覚と常識的なことを合わせて、スピードの関係、タイミングをノートに書いた」
これを読んで、週刊マガジンで連載中のテニス漫画『ベイビーステップ』を思い出しました。いかにも「ノート」な使い方です。
記録は、記憶の補助をしてくれます。
たとえば思いついたアイデアをメモするのは、短期記憶の時間的な限界を乗り越えるためです。メモしなければ、思いついた内容も、それを思いついた事実すら忘れてしまうものです。また、短期記憶は同時に多数の対象を操作できません。ややこしい計算式は暗算ではなく筆算で対応するでしょう。
いろいろなパーツを組み合わせる方法は、脳内ではいささか厳しいものがあります。そもそものパーツを全て記憶し、想起するのも大変ですが、「何を試したのか・何を試していないのか」すら覚えておくことも限界があります。同じように「どの組み合わせが良かったのか」も、記憶まかせにしていると曖昧になってしまうかもしれません。
私は週一回この連載を書いて、最後に「今週の一冊」として本を一冊紹介しているのですが、一週間経つと先週紹介した本のことをすがすがしいまでに忘れています。なので、毎回先週の連載を確認しなければいけません。たった一冊の本ですら覚えておけないのです。
「いろいろな組み合わせを試す」は、広い意味で「考えること」と捉えられるでしょう。アイデア発想なんてまさにこれです。こうしたものは、ある程度は感覚的に対応できますが、やはり限界もあります。書き出すこと(記録をつくること)は、それを効果的に補助してくれます。
<ノート術5>
「考える」プロセスをノートで実行する。
さいごに
「発明ノート」(名前は何でもいいですが)は、今日からでも実践できますね。
もちろん効果が出てくるのは数日どころか、数週間・数ヶ月後です。記録というのは蓄積してこそ効果が発揮されるので仕方ありません。
ともあれ、ノート(あるいはメモ、あるいは手帳、あるいはブログ)を書き続ければ、記録を味方につけることができます。仕事においても、アイデア発想においても、それは強力な存在になってくれるでしょう。
▼今週の一冊:
ジャーナリストの津田大介さんが、Q&A形式で「現代の情報・メディア環境」について語っている本です。
まだソーシャルメディアが登場して、それほど時間が経っていませんので(メディア史全体と比較すれば短いですよね)、「これはこうした方が良い」というフォーマットは固まっていません。ソーシャルメディア自体が固まっていないのですから、それも当然です。もしかしたら、それはいつまでたっても流動的ということすらありえます。
もしそうだとすれば、自分でその流動的な波を乗りこなしていかなくてはいけません。それは堅苦しい言葉でいえば、「メディア・リテラシー」を身につけることになるのでしょう。
本書はQ&Aの形式になっていますが、ソーシャルメディアであれば、自分でQを設定し(あるいは他の人のQを拝借し)、そのQに自分なりの仮説(A)を付随して、情報発信するのが一つのスタイルになるでしょう。その仮説に同意なり反論なりがぶつかってきて、徐々に磨かれていく。それが、「誰かに正しい答えを授けてもらう」のとは違った「情報摂取」のあり方ではないかと思います。
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八重洲ブックセンター本店さんでのイベントは無事終了しました。ご来場くださった皆様ありがとうございます。相変わらず直前までものすごく緊張していました。普段は「今日は誰とも会話しなかったな・・・」という日が結構あるので、人前で喋るのはなかなか緊張するのです。が、それはそれとしてとても楽しい時間を過ごせましたので、またやってみたいです。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。