何であれ、その道の専門家というのは短時間のうちに「違い」を見抜くものです。
素人が時間をかけて、時にはムダな努力も積み重ねることでようやくたどり着けるポイントに、一瞬のうちに連れて行ってくれます。
これは、山登りに似ています。麓(ふもと)から出発して時間をかけてよじ登り、いつしか山頂に到達する。
登頂はゴールであり、この瞬間のためにすべての努力が払われます。でも、本当の果実は山頂にはなく、麓から山頂にいたるまでのプロセスにあります。
金の卵 < ガチョウ
たとえば、ブログを書くのが好きな人は、書いた記事がたくさんの人に読まれ、たくさんの良い評価が得られるというゴールを少なからず意識しているはずです。中には「ただ書きたいから書いているだけだ」という人もいるかもしれませんが、そうであればわざわざ人目に触れるところには出さないでしょう。
ただし、ブロガーとしての果実は、最終的に得られる「評価」ではなく、そこにいたる過程で培われる「繰り返し評価を獲得する能力」だと思っています。
それが得られれば、“遭難”のリスクが減り、より自信をもって歩を進めることができるようになります。
だから、ヘリコプターで一気に山頂まで連れて行ってもらっても、それは体験としては自分の足で登頂した人の足下にも及ばない、似て非なるものとなるわけです。
いわゆる「やった人にしかわからない世界」。
誰にとっての“ヘリコプター”になるか
とはいえ、人生は有限なのですべての山を制覇することはできません。どの山にチャレンジするのかを見極める必要が出てきます。
場合によっては、ヘリコプターでショートカットして、さっさとエッセンスだけをすくい取り、そのようにして浮かせた時間を自分がすべきことに惜しみなく投入するのが正解になることもあるでしょう。
こうして時間の使い方の重み付けを変えることで、人生の重心が変わります。それはその人のスタイルや価値観や生み出すプロダクトに重大な影響を与えるでしょう。
いずれにしても、どの山に自分の足で登り、どの山はヘリコプターで済ませるかの選択の結果です。
それは、誰にとっての“ヘリコプター”になるか、という問いの答えでもあるでしょう。
合わせて読みたい:
朝、仕事を始めるときには、その日のうちに片付けてしまわねばならないと思われるものが山ほどある。けれども、われわれには一度に一つのことしかできないし、砂時計の砂がくびれた部分を通るように、ゆっくりと、一定の速度で仕事を片付けるしか手はない。さもないと、肉体や精神の働きが狂ってしまうのだ。
関連エントリー:
その時その時を一生懸命やる。やっているものはなんでも面白ければハマってしまう性格だから、あまり先のことは考えていない。10年後、20年後を考えても人生はわからない。むしろ考えない方がいい。 今この2,3年にいろいろな人に会って、いろいろな本を読んで、いろいろな経験をしていけば、それで人生が変わっていきますよね。だから、あまり先のことを悩むより今のことをやればいい。 儲かるからやる、というよりはやってみたら面白かったからどんどんやる、という感じなんです。 …