人生の「ルーチン」を書き出してみたら結構すげーたくさん時間使ってることがわかった

機械のように人生のルーチン的な出来事を粛々とこなせるようになりたいごりゅごです。

ものすごい誤解を招きかねない表現を敢えてするのならば「睡眠」はルーチンだし「食事」もルーチン「通勤」だって完全にルーチンです。

これらは、基本的に必ず「一定の周期で繰り返し行うこと」

このルーチン、文字にするとあまりいい印象を持たれない方もいるかもしれませんが、こいつはかなり結構マジメに色々考えてみる必要がある出来事だと言うことがようやくわかってきました。


ルーチンを把握出来ないと自由時間もわからない

さっき書いた「食事」とか「睡眠」とかは毎日行うルーチンですが、それ以外にもルーチンと言える出来事は結構存在します。

たとえば私の場合、この「シゴタノ!を書く」というのも「ルーチン」です。

シゴタノを書く、というのは毎週定期的に繰り返す出来事。

こういう「ルーチン」を把握出来ていないと、日々どんだけ「自分の時間」てのが存在しているかってのも全然把握出来ないという事がわかりました。

1日6時間寝るなら、残りは18時間。風呂に入るのに30分かかるなら残りは17.5時間。ごはん3食に2時間かかるなら、残りは15.5時間。

こうやって、色々と日々の「ルーチン」をマジメに計算してみると「残り時間」が「目に見えて」わかりやすくなってきました。

あらゆるルーチンを「タスク管理」に組み込む

繰り返し行う出来事を、実際どのくらいの頻度で繰り返していて、どのくらいの時間がかかっているのか。

これをいろいろ計算してみて「タスク管理ツールToodledo」に繰り返し設定をしながら必要時間と共に入力していく。

始めたばかりだと、ルーチンの漏れはありまくるし、実際にかかる時間とかも間違ってたりしまくるわけですが、続ければ続けるほど、より精度の高い「オレルーチンリスト」が出来上がっていく。

これが実に面白くて、ルーチンが増えれば増えるほど「必要時間」の精度が高くなって、それと共になんだか自分のことがわかってくるような感じがしてくるのです。

そして、こうやって自分のことがわかってくると、あとは残り時間で何をやりたいのか、何が出来そうなのか、そんな事もだんだんと正確にわかってくる気分が味わえるのです。

一日で「出来ること」はわりと少ない

実際にこうやって「ルーチン」の時間を計算していくと、一日の中で自分が自由に出来る時間てのがすんごい少ないことがよくわかってきました。

ていうか、自分自身がどれだけ自分自身の時間の使い方を把握出来ていないのか、ってこともよくわかってきました。

人生の出来事を「ルーチン」と捉えるなんてけしからん、と考える方もいるかもしれませんが、なんていうかそういう悪いイメージの「ルーチン」ではなくて、ここでいう「ルーチン」は今の自分を維持するために「必ず」繰り返さなければいけない出来事というだけで、それ以上の深い意味もネガティブな意味もありません。

こういうことがきちんと把握出来てはじめて、じゃあ「より良くするためにはどうしたらいいのか」とかって事も考えられるようになるのでは無いのかな、と考えている次第です。

▼今週の一冊:

この本を読んで「ルーチン」を把握するという行為に目覚めました。

書かれていることを「いきなり全部」真似するのはめちゃくちゃ難しいことのように感じましたが、そう思ったのと同時に、この本に書かれている方法をだいたい真似出来たのならば、この本の「はじめに」に書かれている

やりたい時間を確保することも、穏やかに暮らせるようになることも、思いのままに

本当にそうなりそうな感じがしております。

ちょこっと真似してみただけで、時間の見え方が変わりました。

たぶん、今年一番影響を受けた本。

▼編集後記:




こういうの真似してみると、私は「自分のことを把握したい」てのが最近の趣味になってるなーと感じます。Evernoteに過去の出来事を残したい、というのも「過去の把握」の手段だし、今考えてること、やりたいことを「GTD」で「把握」したい、とかも思ってたりとかなんかそういう感じです。


▼五藤隆介:
デジタル&シンプルライフLove。デジタルを最大限活用して「めんどくさくない」シンプルな生活を目指す。goryugo.comの中の人。


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