本書にはなるほど勉強になる点がたくさんありました。それらも今後紹介していきます。今回はまず「小さな声」について。これは極めて厄介なものですが、ビジネス書などでも意外に重視されておらず、いつも不思議です。
本書では特に「小さな声」について定義されてはいません。しかし非常に多くのページを割いて言及されています。「小さな声」は合理的な理由もないのに先送りするとき、決まって暗躍しています。
目標の達成やプロジェクトの完了を、なぜできないかという、「小さな声」があなたに与える言い訳のすべてを書き出してみる。これらの言い訳のほとんどは「しかし」で始まる。例をいくつか挙げてみよう。
「この目標を達成したい。……
……しかし、時間がない」
……しかし、予算がない」
(p161)
「小さな声」を黙らせる2つの方法
まず、このイヤな相手に対処するマインドハックを2つ紹介しましょう。
- 「小さな声」の言い訳を書き出す
- ゆっくり行動することにする
これが不合理な先送りに対処するために、簡単に用意できる強力なツールです。本書でも具体的に紹介されています。残念なことに、たったこれだけのことでも紹介されている本は、多くありません。
ただ、これをやるのに対しても「小さな声」が邪魔をします。「言い訳など書き出している場合じゃない」とか「ゆっくり行動してなどいられない」という声が入るのです。これらはほとんど原理的に発生します。
ですから本書著者のいっていることは正しく、「小さな声を完全に抹殺することは不可能」と言っていいわけです。
書き出されることには耐えられない
なぜ書き出すだとかゆっくり行動するということが有効かというと、注意の対象になっていない環境でしか生き延びられない「声」だからです。より正確に言うと、「心のその他の部分の抵抗感」をあえて「声」といっているわけです。
人間というのは面白い動物で、心の大部分と関係ない「意思」に向かうことができます。身体としては寝ていたくてしようがないのに、「朝早く起きて英語を勉強する」とごくわずかな部分の「意思」で、全体を引っ張っていくことも可能です。
ただもちろん「その他の大部分」は抵抗を示します。それらは睡眠だとか、消化だとか、体温の維持だとかにいわば「腐心」していますから「自分たちの仕事」とほとんど関係もない「英語の勉強」に多大のエネルギーを割いてまで協力させられるのがイヤなのです。
ですから「小さな声」は決して「小さな勢力」から発せられているわけではありません。でも「声」としては小さいのです。なぜなら基本的に「言葉」を発しない勢力からの意思だからです。
それらの「言葉」をあえて書き留めてみましょう。するとろくな言葉が発せられてきません。当然のことなのです。これらの「声」はいわば単なる「抵抗」であって、注目を浴びるとむしろ黙ってしまうのです。
「小さな声」の正体は「抵抗」
そして「ゆっくり動く」というのもいい方法です。「小さな声」の正体は「抵抗」ですから性急に変化しようとすればするほど、抵抗も強くなります。逆にいうと、現状をなるべく維持しつつ行動を移せばいいわけです。
最悪なのが、時間がなくて焦って行動しようとしているために、「小さな声」が絶え間なく抵抗し続けている状態です。「あれもしなきゃ!」「これもしなきゃ!」となっている典型的な状況ほど、何をしてもむなしく感じられるのは、「小さな声」の抵抗がいっこうにやまないせいなのです。
「小さな声」の主たちは「保守」というこのうえなく重大な役目を負っています。明日の朝起きてみたら、皮膚がサンショウウオの皮膚になっていた、というのでは困りますね。一生ほとんど変化しない、というのは非常に重要なことなのです。そういう部分が大半だからこそ、「生まれ変わってみせる!」などと言うだけの余裕が生まれるわけです。
ですから本当は「小さな声」を抹殺しようとするべきではないのです。「小さな声」の言うことをよく聞いてやり、変化をつけるときにはなるべくそれらの仕事の邪魔をしないようにすることです。そうすれば「小さな声」は邪魔ばかりしないようになります。
不安から発するもう一つの「小さな声」
本書の著者は「小さな声」の主を1つにまとめてしまって(しかも擬人化して)いますが、実際には「小さな声」の主は無数にあるわけです。もちろんそれらを一つ一つ細分化することはできませんが、分けた方がいいことがあります。「保守」と「不安」です。
たしかに両者が結びつく機会は多く、両者の「結託」のせいで物事を進められないという事態は多いのでしょう。しかし本来「保守」と「不安」は別のものです。
私達は不安であろうとなかろうと保守する必要はあります。保守的な意味での「小さな声」の言いたいことは「エネルギーを無駄にしないで!」ということです。一方不安から来る「声」の言いたいことは「批判が怖い」のです。
このような「声」にはある程度気をつける必要がありますが、この「声」のせいで何かを完全にやめてしまう、というのは絶対に避けなければいけません。
この「声」に対抗する方法としてもやはり「書き出す」「ゆっくり動く」ということは有効です。書き出した内容が何らかの意味で批判を怖がっている場合、「批判が怖いのでやめておく」という選択肢をとることがどれほど望ましくないものか、目で確認して実感しておきたいところです。