ブログはだいたい言いたいだけでいいんじゃないかと心の底から思ったりした


先日、自分のブログでうどんについての記事を書いたら、なんだかわかんないけどとんでもなく反応があって、ありえないくらいの「はてブ」もついちゃったりして、なんじゃこれはって驚いたりしました。

自分的には突っ込みどころ満載な「ネタ」記事なつもりで書いたつもりだったのですが、世の中色々と想像もしなかったことが起こるものです。

そして、こんなテキトーな「うどん記事」を書いて改めて思ったのが「情報発信」てのは、このくらい「肩の力を抜いた」もので十分なんだろうな、ってこと。

情報発信て言葉をあんま難しく考えない方が良いのではないかと。

公開するべきか悩んだら公開する

最近「こんな記事を公開して価値はあるのだろうか」って悩んでる、みたいな話をちょこちょこ聞いたりします。

でもね、うどんでもウケるわけです。ただうどんを冷やして、食べるラー油と卵入れたら美味かったぜ、って、多くの人にはちょー当たり前すぎるアホみたいな事でも、それでもそれが「役に立った」って思ってくれる人は、少なくとも何百人かはいたわけです。たぶん。

誹謗中傷とかそういうのはアレだけど、そうでも無い限りは公開した方が必ず「得られるもの」が大きいです。

公開しないで後悔するより、公開して後悔する方が、確実に自分の為になります。

量が質を生む

良くも悪くも、どれだけすんばらしい文章を書こうが、どれだけ崇高な文章を書こうが、100%自分が思ったことを思った通りに伝えるのは難しいです。ていうかたぶん無理です。

さらに言えば、自分が考えてること、好きなこと、そういうもの全部を「1つの記事」だけから伝えるのは到底不可能だし、その自分の考えすらも時間が経てば変化するのは当然です。

てなると、量がとてもだいじ。量を書く事で自分が見えてくる。ていうか量を書いてみないと自分の事すらよくわからない。

もちろん「出来るだけ良いものを公開する」ってのは同じくらい大事ですが、質は量から生まれるってのもこれまた事実なわけで、公開してみないとわからないことはいっぱいあります。

そして、ブログは「量」を書いて、蓄積するのにすんごく向いてる「メディア」。

隙があってもいい、っていうか隙があるくらいの方がいい

「量」を書こうと思うと、なかなか自分にとって「完璧」な記事を書くのは大変になってきます。ところどころ「突っ込みどころ」があるような記事になってきます。

でも、別にそれでいいんじゃない?って最近は思えるようになってきました。

悲観的にも取れますが、100%の人にウケる内容なんてものは存在しないし、100%伝わるなんて事もまずありえない。

だけど、書けば誰かに「伝わる」かもしれない。そっちのプラスの可能性を信じて書いた方が楽しい。

それどころか、敢えて隙を作って、突っ込みどころを残しておいた方が「ネタ」としては盛り上がる可能性すらある。「うどん」がウケたのは、この「突っ込みどころ」がありまくった事も一つの原因なのではないかと思います。

まとめ

つまりようするになんというか、過去にも似たようなこと書いてますが、悩んでやらないよりは、やって後悔した方が100倍くらい身になるのではないかという事です。

「だいたい言いたいだけ」って言葉を気に入って、最近はこの言葉をキーワードにブログ書いてますが、そのくらい気楽な気分でブログ書けばいいんじゃないかと。

そんな事を最近は思ってます。

▼編集後記:




これまた隙だらけの記事だなぁと書き終えて思った次第だけど、まぁそのくらいでいいのかなぁと思った次第


▼五藤隆介:
デジタル&シンプルライフLove。デジタルを最大限活用して「めんどくさくない」シンプルな生活を目指す。goryugo.comの中の人。

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