真似する事で見えてくるもの

過去、何度か試した事があるのですが、人の文体を真似て書いてみる、という手法が非常に面白いです。

「どこまで」が真似なのか、何をもって「似ている」と言えるのか、そういった事を数値化するのはわりと>相当>すごく難しいことですが、いざ真似をしようと思い立ち、実際にそれを試してみると、非常に多くの「気づき」を得ることが出来ます。

今回は、この「真似」から得られるものについて考えてみたいと思います。

1.真似をするために読む

まず第一に、「書き方」を真似ようと思うと、必然的にその人の文章を__それこそ目を皿にして__一生懸命に読まざるを得ない、という事です。

数百文字の文章であろうとも、文章にはその人の「思い」が必ず込められているはずです。文章の「キモ」は、案外細部にあるものだったりします。

普段はサラッと読み流してしまって気がつかないかもしれないことも、じっくりと「読み込んで」みることで、思いもよらないような発見があるかもしれません。

2.擬似的に思考をなぞる

文章というものはある意味、作者の分身です。「なかのひと」の映し鏡のようなものです。その中には、作者の思考の過程や、その人の癖といったものが存分に詰まっています。

いざ真似をして書いてみているとよくわかりますが、日頃書く文章と全く違う文体を用いることで、書いている私もまるで別人の様な気分になっています。

慣れないことをする、というのは非常に多くの苦労を伴うものですが、それによって脳の普段使っていない部分を刺激されているような新鮮な感覚を味わうことが可能です。

これはある意味、擬似的に真似をしている人に入り込んでいるような状態と言えるのかもしれません。

それによって得られる経験は、自分の文章を思うがままに書いている時には決して得られないものです。

〜以下転調〜

真似されるものを目指す

著名人の中からパッと思いつく「らしさ」を持った物書きというと、真っ先に思い浮かぶのが村上春樹である。氏の小説からどの部分を切り取ってきても、全て「村上春樹の文章」だとわかる。

「らしさ」を持った文章が書けるようになることは、個人がセルフブランディングを行っていく上で非常に大きな武器になる。

個性ある文章は、それだけで他人の印象に強く残り、結果それが自分の「ブランド」を構成する要素の一つになる。

場合によっては「だいたい」という言葉を見かけただけで「なかのひと」をイメージしてもらうことすら出来るようになるかもしれない。これは「ブランド」が出来上がりつつあると言っても良い状態ではないだろうか。

もちろん、自分が目指すブランドにつながる「個性」を目指した方が結果的にメリットが大きくなりそうなことは言うまでもない。

どちらにせよ、創造とは模倣から始まるものだ。一度このような模倣をしてみる事も、逆説的に自分らしさを発見するきっかけになるのかもしれない。

▼今週の一冊:

なぜ個人の「セルフブランディング」が必要なのか。そんな事に気づかせてくれる本。

本書の中では「セルフブランディングの方法」も書かれているが、個人的に大事なのはそれよりも「なぜセルフブランディングが必要なのか」というところ。

企業の中にいるから、セルフブランディングなんて必要ない。

そう思う人こそ一度手にとって欲しいと思える本。

▼編集後記:




なんか、ふと思いついて半年くらい前にも自分のブログでやった「人の文体を真似する」ってのをやってみたけど、やっぱちょー大変ですこれ。

中途半端に楽しようと思って、その時に真似した人の文章をもっかい真似してみたけど、やっぱりすっげー苦労しました。

でもやっぱ、人に勧めるからには自分もやってみないとダメですよね。オレエライ


▼五藤隆介:
デジタル&シンプルライフLove。デジタルを最大限活用して「めんどくさくない」シンプルな生活を目指す。goryugo.comの中の人。

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