今から12年前の2009年に『世界は分けてもわからない』という福岡伸一さんの本でマップラバーとマップヘイターについての記述(第4章)をちゃんと読んでおり、当時の自分は感銘を受けたのか、赤線を引いた上で自分なりのメモまで書き込んでいる。
読んだ直後はきっと記憶が鮮明で、得られた知識をそのときどきの仕事や生活の中でさっそく活用できていた…はず(検証しようがないが)。
でも、その「効用」のようなものは12年たった今となってはその痕跡すら残っていない(検証しようがないが)。
やはり、本を読んだら何らかの記録を、読書メモを、残しておくしかないのだろう。
読書メモを本の「外」に残しておけば、本それ自体よりも参照頻度は高いはずだから、参照のたびに読んだときの刺激がリフレインして、その「効用」の持続が期待できる。
アロマオイルを垂らすように。
その意味では本を読むことはある種の「香り」に自分をさらす行為なのではないか。
そう考えると、本を読むことで得られる「効用」とは特定の行動を喚起する香りを身にまとうことであり、読書メモを作ることはこの香りをいつでも再現できるようにするための「びん詰め」作業と言えるかもしれない。