quarter
これは、1/4を意味する英語ですが、1ドル 、つまり100セントの1/4は25セントです。
アメリカには25セント玉というコインがあって、これが非常に流通しています。いや、もう今は分かりませんね。私が留学していた2000年当時には流通していたのです。
特に田舎ではこれがないと生活できません。
コインランドリー、ガソリンスタンド、洗車、コピーまで、何でもかんでも25セント玉でこなすのです。もちろんおつりは出るのですが、入れるところは25セント玉しか受け付けなかったりしてくれます。
私はめっぽう困りました。特に最初に空港に着いたときに。
タクシーを呼ぼうにも、大学から迎えに来てもらうにも、これがないと電話もできない。
そして私の英語はまったく通じないため、何をしたいのかすら、だれにも分かってもらえない。
行動がいたって「規則正しく」なる
その日、つまり渡米初日から、私は非常に「自閉症的な行動」をそこら中で取ることになります。といってもアメリカは広大なので、私の「そこら中」は太平洋のクラゲの遊泳みたいなものです。
まず、行動がいたって「規則正しく」なります。極端に言うなら、儀式です。決まった手順を必ず踏む。道順も、たとえどれほど遠回りであっても(遠回りかどうかも分からず)決まった交差点で右折し、決まった交差点で左折し、まったく同じ道順を使う。
レストランでは同じメニュー。そもそもいつも同じレストランに行く。同じコーヒーの同じ「S」を注文し、同じ時間に席を立つ。
なぜこうなるのか?
勝手が分からず、しかも言葉が通じないから。
道に迷えば一大事です。ヘタをすると死にかねない。死ぬことはないにせよ、大金を失ったりする恐れがあります。
たとえば「国民健康保険」というものがなく、あっても加入できていない日本人が、指のけがでそこら辺の病院で手当てされてしまったら、2万円だのという法外な金額を取られたこともあったのです。
当然私たちは、大学学内の、決まり切った医者のところに行くわけです。決まり切った医者に診てもらうためには、なるべく決まり切った曜日の、同じ時間に行くべきです。
繰り返しの行動が多くなるだけでなく、私は特に「英会話力」に著しい不安があったため、「話さずにすませる行動とツール」に依存しました。
たとえばバスの運行表や時刻表を集めまくります。
レストランのメニューなども集めまくりました。
(インターネットがあるでしょう、と思われるでしょうが、2000年はそういうものの普及率と利便性がいまひとつでした。スマホはなく、外出時にネット環境を確保するにはお金がけっこうかかる上に、速度も遅かったのです)。
自閉症の子供は「目を合わせない」とか「年齢相応の仲間と自発的に遊ばない」とか「一問一答の会話になってしまう」とか「オウム返しをする」と言われます。
アメリカでの私はまさにそれでした。
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