新連載です。
「発達障害」という言葉を、最近よく耳にするようになったのではないでしょうか。
「もしかすると自分もそうかもしれない」と疑っている方が、この記事をお読みになっているかもしれません。
こんな言い方は不適切かもしれませんが「発達障害」というのはなかなかナゾの多い障害です。
私がこの言葉に出会ったのは、池袋西武の大型書店「リブロ」でした。本を見たのです。大学生のころ、西武の書店はまだ「リブロ」だったのです。
その当時、「発達障害」はまだ「発達障害」などとは呼ばれておらず、ただADHDという略語をそのまま外国の心理学者が紹介していただけでした。
この症状は、「子供のもの」であり、書店で目にするとしても、心理学の専門コーナーにひっそりとあったのです。私もまったく興味をひかれず、本を買って読んだものの、そのまま忘れていたくらいです。
その後5年くらい経ってから、次にこの言葉を「耳にした」のは、留学先のアメリカの大学でのことです。英語はもっぱら「読めるだけ」で、会話があまりにも苦手すぎたので、TA(ティーチング・アシスタント)という学生ボランティアにお願いして「英会話の相手」をしてもらったときのことなのです。
私が心理学専攻だというと、相手方の女子大生がいきなり
「私の彼、ADHDなのよ」というのです。
ADHD?
私は「なんだそれ?」と思ったのですが、それすらスラスラと言えずに、四苦八苦しながら「何それ?」と尋ねてみると、
アテンションディフィシッハパラクディスオーダー
誤字ではなく、こんなふうに聞こえたのです。これでも親切にゆっくりしゃべってくれたのです。
「注意・・・できない・・・?」
「イエス!」
「どいういうことなの?」
「いつも体をゆすったりして、落ち着きがないのよ。あと人の話もうわの空で、勉強していてもすぐ気が散ってしまって、でも何かに集中し始めるとのめり込んで周りが目に入らなくて、忘れ物とか遅刻も多い」
「アメリカの男子学生はみんなそんなふうに見えるけど?」
「アハハ」
ADHDなんて大げさな略語を用意せずとも、そんな子は、私が小学校のころにも、そこらじゅうにいた気がしました。
落ち着きがなくて、体をゆすって、ぐねぐねして、勉強など身にはいらず、「人の話を聞きなさい!」と毎日のようにお説教されて、忘れ物が多い。
いたってふつうではないですか。
だから私はそんな「ふつうの問題児に病名をつけた話」には興味がわきませんでした。
ところが運が悪いというか良いというのか、すでにアメリカではそのころ「ADD/ADHDが主要なテーマ」という時代でした。これらは専門用語ですから説明を要するでしょう。
- ADDは注意欠如。
- ADHDは多動性・注意欠如。
最初はたしかにこの「2つ」だけが取りざたされていたのですが、時代が進むにつれ「こういう症状のご近所さん」をひっくるめて
- 発達障害
という用語に統一されるようになってきたのです。
私はたまたまその「時代が進むにつれ」のまっただ中のアメリカで、心理学を勉強していたものですから、いやおうなく「ADHDとかについての研究レポート」を書かされたというわけです。
興味がなかった私には、それが苦痛でした。
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