これほどまでに「集中の効用」が説かれる一方で、集中できないという人がこんなに多いのは、もしかしたら集中することを恐れているのかもしれません。
なぜメールチェックから始めるのか?
実は現代の社会というのは、人が集中しないように設計されているところがあります。電車の中などは典型的で、そこで何か、動画や書籍に過度に集中してしまったら乗り過ごしかねない。それくらい一駅に停止する時間は短いのです。
だからといって「電車に乗っていること」や「降りる駅のアナウンス」にずっと集中していられるはずがないでしょう。
オフィスに着いて仕事をスタートするという場合でも、重要で巨大なっプロジェクトに、会社に着いてすぐガッツリ集中する、という人はむしろ少ないように思えます。
なんとなくメールチェックし、なんとなく軽めの仕事に取りかかり、というやり方をする人が多い。
理由は何でしょう?
いちばんやりたくないことからスタートする
ガッチリと巨大なプロジェクトに集中してしまったら、気力と時間を膨大に使い果たしてしまい、フルタイムの時間をうまく使えなくなる、という不安があるように思えます。
しかしそうやって気力をセーブすることをいつも念頭に置いていたら、集中することはいつになってもできないはずです。常に何か気にすることを頭の片隅に置きながら、ちょうど下車する駅のことを常に念頭に置きながら読書するように、完全には集中しきれない行動がずっと続くのです。
そして現代社会はどうも、この「いつも何か違うことを念頭に置く」ことを人に求めているように感じます。
私はけっこう毎日「いちばんやりたくないことからスタートする」というやり方が気に入っています。このメンタルハックは役に立つと思います。
これを言うと「ストイックすぎる」とか「好きでないことから始めるのは良策ではない」という話になりそうです。一般的にはたしかにそう思えます。
しかし、よく考えてみると、ではいつ「いちばんやりたくないことをやる」と「ストイックではない」ことになるのだろう? 帰り際でしょうか? お昼休みの後でしょうか? 帰り際に「いちばんやりたくないことをやる」のがストイックすぎなくていいでしょうか? お昼休みの後に「いちばんやりたくないことをやる」ならストイックではないでしょうか?
どうして「始業の最初がいちばんやりたくないこと」だと「ストイックすぎる」のでしょう?
それからもう一つ大事なことがあって「いちばんやりたくないこと」はどうして「やりたくない」のでしょうか。これへの答えが「仕事がつらそうだから」ではなく「集中しないとできない仕事だから」だとしたら、よほど一考してみる必要があると思うのです。
集中を要する仕事を抱えていて、それに「集中しすぎるのが怖い、なぜなら時間を奪われるし気力も奪われてしまう」だったら、いつもいつも仕事時間は集中しないまま終わらなければならなくなります。
その方針は、生産効率の上でも、精神衛生の上でも、決して良い方針とは思えないのです。