ここ乗り越えたら安定した地平が広がっているはず、という期待を胸に、しかしその期待が外れることもどこかで覚悟したうえで、目の前の困難な課題に必死に取り組む。
シーリーズドラマであれば、安定してしまったら物語の終わりを予感させることになるので、作り手からしたら、常に波乱を起こして観ている側を飽きさせないようにあの手この手を使ってくるでしょう。
リアルな人生においては、しかし、安定した状態を一刻も早く手に入れたい、とどこかで願っているのです。
安定は耐震構造に似ている
そんなことを考えていたら、ふと思い浮かんだのが以下のイメージです。
揺れ動く地面に対して、自分が立っている地盤を直接触れさせるのではなく、間に衝撃を吸収するための仕組みを組み込むことで、ダメージを最小限に抑えようとしています。
安定を求めるということは、この仕組みを何とかして作り上げ、実装しようとする行動ということになるでしょう。
それでも、一度この仕組みを作ってしまえばもう安心、ということはなく、折に触れて仕組みのアップデートを重ねていく必要があります。
結局は常に揺れ動く環境に合わせて、仕組みを調整したり、重心を変えたり、立っている場所そのものを入れ替えたりといった、動き続けることが安定なのかもしれません。
以下の本で「動的平衡」という言葉に出会いましたが、まさしくこれが今回の記事において目指すところの安定だと考えています。
ちょうど波が寄せてはかえす接線ぎりぎりの位置に、砂で作られた、緻密な構造を持つその城はある。
ときに波は、深く掌を伸ばして城壁の足元に達し、石組みを模した砂粒を奪い去る。吹きつける海風は、城の望楼の表面の乾いた砂を、薄く、しかし絶え間なく削り取っていく。
ところが奇妙なことに、時間が経過しても城は姿を変えてはいない。同じ形を保ったままじっとそこにある。いや、正確にいえば、姿を変えていないように見えるだけなのだ。
(中略)
重要なことがある。今、この城の内部には、数日前、同じ城を形作っていた砂粒はたった一つとして留まっていないという事実である。
かつてそこに積まれていた砂粒はすべて波と風が奪い去って海と地にもどし、現在、この城を形作っている砂粒は新たにここに盛られたものである。
つまり砂粒はすっかり入れ替わっている。そして砂粒の流れは今も動き続けている。にもかかわらず楼閣は確かに存在している。
つまり、ここにあるのは実体としての城ではなく、流れが作り出した「効果」としてそこにあるように見えているだけの動的な何かなのだ。
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編集後記
今日の記事を書くのにかかった時間:55分(イラスト含む)。https://t.co/6el3MlutN6
書き始めたら結局先日書いた記事(以下)とほとんど同じような内容になってしまった。https://t.co/SwZYvNGngk pic.twitter.com/5Fy7CzfehT— しごたの/大橋 悦夫 (@shigotano) January 29, 2019