僕自身も、その社員さんのことは存じ上げており、社外の人間の目から見ても、まじめだし、仕事もできるし、機会があればぜひ一緒に仕事がしたい、と思える方です。
経営者(仮にAさんとします)としては、その社員さん(仮にBさんとします)のことを「買って」おり、個別面談においても直接本人に伝えているそうなのですが、Bさんは「私なんてぜんぜんダメです」と全否定。
でも、否定しつつもBさんの次の言葉は個人的には興味深く感じました。
- ダメだと思っているから、もっとがんばらなくっちゃと思って努力ができるんです。
- 一度でも「私はすごい」と認めてしまったら、もう努力をしなくなってしまうのではないか?
- それが怖いのです…
ちなみにBさんは30代前半の女性です。
セルフイメージが低い?
以下の記事で「セルフイメージ」の話に触れました。引用は本田健さんのメルマガからです。
顔がいいとか、そういうことではないのです。自分が自分のことを素晴らしいと思うのが、高いセルフイメージなのです。
高いセルフイメージの人がそんなこと言ってしまうのを聞くと、自分はそこまでではないにしろ、もう少し自分を褒めてあげようという気持ちになります。
「素晴らしい本ですね」と言われたら、「そんなこと言わないでください」と言わずに、「ありがとうございます」と言えるようになりました。
そうやって、私のセルフイメージは高まりました。自分は何を書いてもベストセラーになると思っている人と一緒にいると、自分もそのような気分になるのです。
そうすると、どんどん理想の自分が近づいてくる感じになります。例えば、余裕で年収1億円を稼いでいる人たちと一緒にご飯を食べていたら、自分も当然いけるという感覚になるわけです。
この文脈で言えば、Bさんは「セルフイメージが低い」ということになります。
一方で、
一度でも「私はすごい」と認めてしまったら、もう努力をしなくなってしまうのではないか?
というBさんの懸念も理解できます。
意識の矢印が自分に向いている?
その後も、経営者のAさんといろいろと意見交換をしていたのですが、ふと「意識の矢印」という話になりました。
Bさんが頑なに「私なんてまだまだダメだ」といっこうに自分を認めない姿勢は、本人にその意図がなかったとしても、自分が傷つかないようにバリアを張っている、ととらえることができます。
自分の身を守るのは当然のことなので、咎められることではありません。
ただ、ことビジネスという観点で考えると、自分が傷つかないことが第一となり、必然的にお客さまの利益は第二ということになってしまいます。
意識の矢印がお客さまではなく自分に向いているわけです。
もちろん、不完全な自分ではお客さまの役に立つことはできないので、まずは自分が完全にならなければ、と考えるのは自然なことです。
とはいえ、たとえ自分が「まだまだである」と辛口に自己評価していたとしても、お客さまから見れば自分はその分野におけるプロフェッショナルであり、「100%である」と認知されているはずです。
そうであれば、たとえ自分で自分のことを100%と評価できなくても、今の自分の100%を出し切るしかないでしょう。
Aさんは次のように言っていました。
- 自信があるから行動できるのではなく、行動するから自信がわいてくる。
言葉にしてしまうと身も蓋もないように思えますが、これは確かに真理だ、と感じます。
スキーの本をどれだけ読み込んでも、実際にゲレンデでスキーを履いて滑ってみないことには始まらないわけです。
まとめ
Aさんとの対話の中においても、そして僕自身の中でも、いずれも結論は出ていません。
というわけで、この先は読んでくださっているあなたに委ねます。