子どもたちがベルを鳴らすのを我慢しようと悪戦苦闘する様子は涙ぐましく、彼らの創意工夫には思わず拍手して声援を送りたくなり、幼児さえもが誘惑に耐え、あとでご褒美をもらうために我慢する能力を秘めているのだと思うと、新鮮な希望が湧く。
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ポイントは、他人との比較ではなく、自分との比較にあるはずです。
我慢できる子と、できない子の違いも大事でしょうが、我慢できない子が、我慢できるようになることのほうが、本人にも、社会にも、インパクトがあります。
悪戦苦闘がどう「見える」かは全く大事ではない
「他人のライフハックを笑うな」というのを、私はけっこう重視しています。
先日、次のようなブログ記事が上がって、私は強い印象を受けました。
なぜいきなり進むようになったのか?
わたしにも理由はわかりませんが、何をやったら進んだのかはわかります。
それは、ツイキャス。
ツイッターと連携して動画配信ができるサービスです。
古いiphoneで執筆中の様子をうつしながら、だらだらおしゃべりしています。
そうしたら、なぜか進んだ!
理由はわからないけれど。
たぶん、30分おきに番組が切れるので、「この区切りまではがんばろう」と思える、とか。たとえ数少なくても人が見てると、ほとんど中断できないとか。
そういうことかな。
ようするに。
「書きはじめて」「中断せず書き続ける」
これを続ければ、いつか終わる。
» 孤独なマンガ執筆作業を乗り切る意外(?)な方法 | あたらしいマンガ道 WEB Magazine
大事なのは、必ずしもここで書かれている「方法」ではないのです。ましてこの方法の持つ(あるいは持たない)説得力など少しも重要ではなく、今までできなかったことができるようになったということのほうにだけ、意識を集中するべきなのです。
あえて物書きとして蛇足しますが、「売るあてのない原稿」を書き上げるというのは容易なことではありません。
似たようなところで、学生時代のうちから、しっかりと勉強しておけば良かった、という話をしょっちゅう聞きますが、実に難しい話です。
人間は、そんな、うんと先の将来を見据えて貯金しておけるものではない。できる人もいますが、できない人のほうが自然で、マジョリティです。私はもちろんマジョリティです。学生時代など、ひたすら遊びほうけておりました。
大学生でもそうなのですから、未就学児に、長期的視野を持ってマシュマロを我慢させるのは、酷なのです。お話にならないくらいです。
しかし工夫する姿勢は大事です。目をつぶったり、見ないふりをしたり、数を数えたり。自分が我慢すべきことは棚に上げて、幼児の努力を「ほほえましい」と微笑むことは、厳しく言えば恥ずかしい話です。自分ができないなら、せめて人のライフハックを笑うものではないのです。
人のライフハックを笑わないというのは、人のライフハックなど、二の次ということでもあります。
長期的視野をもって現在の衝動に打ち克つことは、未就学児にでも大人にでも、同じように困難なのです。それを少なくとも自分に可能とするようなライフハックがあったら、それがどんなものであれ、たいして効き目がなさそうだと思っても、試すべきです。
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