時間の心理学、というだけで私は興味をひかれます。でもなかなか時間をテーマとした心理書に感動を覚えることはありませんでした。
しかし最近とてもいい本に巡り会いました。
『脳のなかの時間旅行』(インターシフト)です。
タイトルから「またfMRI使ってちょっとした発見を得たのを盛り上げて作った心理学書か・・・」という印象をうけたのですが、そんなことはなく買ってよかったです。
本書には読みどころがたくさんありますが、シゴタノ!読者さんはとりあえず、ビジネスと時間心理の関係に興味があると思います。
それだけではないにしても、そこには興味をひかれると思いますので、今回はまずその点を取り上げます。
ホリデー・パラドックス
楽しい時間はすばやく過ぎるし、退屈や苦痛を伴う時間は遅く過ぎる。
これは子供の頃から繰り返し経験することではありますが、そして非常に「心理的な問題」(客観的な時間の速度に変化がないとすれば)として意識されると思うのですが、心理学のごくまっとうなテキストを開きつつ「なぜ楽しい時間が早く過ぎるのか?」を知ろうとしても、たぶん答えが得られません。
『脳のなかの時間旅行』にはこの疑問がきっちり取り上げられておりわかりやすく説明されています。
休暇を過ごしているうちは時間の流れが速く感じ、休暇のことを思い出すと、長い間出かけていたように感じるのだ。本当にたった一週間だったのだろうか?
あなたは相反する二つの時間の経験を抱えることになる。休暇を過ごしているうちは時間の流れが速く感じ、終わってみれば何年も出かけていた気がする。何かがおかしいというこの感覚は、旅行が長ければ長いほど強くなる。
これがホリデー・パラドックスだ。(p176)
つまり「楽しい時間はすばやく過ぎるし、退屈や苦痛を伴う時間は遅く過ぎる」だけではないのです。これは時間心理の問題の半分です。
これは、「いまから未来の時間について」という視点での話です。いままさに楽しいことを経験しているときには、時間の流れは飛ぶように過ぎるし、いままさに退屈な経験をしていると、時間は遅く過ぎる。
時間心理の問題にはもう一つ、後から振り返った評価の歪みの問題があります。
すなわち、新奇で目を引く出来事を一定時間の間にたくさん経験すると、その時間は長く評価され、そういう出来事が少ないと、経験した時間は短かったような気がします(思い出せることが少なくなる)。
だから退屈な仕事を連日のように繰り返していると、いままさに仕事中であるときには、時間の流れが遅く感じる一方、後から会社に居た時間のことを思うと、思い出せることが少ないので、あっという間だったような気もするのです。
これの極端な事例を引用しましょう。アウシュビッツ強制収容所に収容されていたヴィクトール・フランクルの述懐です。
彼(フランクル)の観察結果の一つに、一日が過ぎるのは遅いのに、一ヶ月が過ぎるのは速い、というものがある。「収容所にいると、短い単位の、たとえば一日などという時間は、絶え間ない苦痛と疲労に満ちていて終わりがないように思える。それより長い単位の一週間などは、とても速く過ぎるように感じる。他の被収容者たちも、収容所では一日のほうが一週間より長く感じるという私の言葉に同意していた」。(p177)
つまり心理的な時間の長さを評価するには、次の2つの視点が必要なのです。
現在から未来の経験については、一定時間という「容れ物」に、どれほどの「経験」を詰め込みたいかによって、その「広さ」を「狭い」と感じるか「広い」と感じるかが変わる
過去の経験については、一定期間についての記憶想起できる個数によって、どれほどの「時間の長さ」であったかを検討する
特に、退屈なルーチンワークが圧倒的に多いという人のケースでは、これから1日という単位の中に「ルーチンワークA」のような経験をたくさん入れたいとは少しも思わないため、時間は長く感じられる一方、後からその経験を振り返ろうとしても「毎日が同じようでこれといったことがない」ため、思い出せることも必然的に少なくなり、「なんかすぐ過ぎる」という感想になります。
歪みを矯正するためのタスク管理と作業記録評価
とは言え、一般的な会社員にとっての時間の歪みは、アウシュビッツに入れられた場合ほどではないでしょう。
会社の時間の歪みならまだまだ修正可能な範囲内だと思います。
近未来の時間は苦痛で長たらしく、振り返ると瞬時に過ぎていたという時間評価の歪みを矯正する方向に、「働きがい」というものがありそうです。
もちろんまさか「ホリデー」のようにはなかなかいかないでしょう。たとえば会議が楽しくて会議があっという間に過ぎ去る、というわけにはめったにいかないでしょう。
しかし、「この仕事は確かに自分がやるべきだ」という作業の時間をなるべく正確に見積もって、必要な時間枠の中でやろうとすれば、それなりに時間感覚は修正されます。
この感覚は、休日のデートでもたとえば、一定の時間枠の中でディズニーランドのアトラクションの「タスク」を義務的にこなそうとしてみると、わかります。
「時間が足りない」という心理を引き起こすからくりは結局そういうことです。
次に大事なのが、やったことを細大漏らさず記録に落とし、追想する代わりに記録を見返すことです。記録を見返すのは何もPDCAのためばかりではありません。「何をしていたかが思い出せない」というのは、時間評価的に健全ではないのです。
この2つの修正、いまから近未来の時間感覚の修正と、終わった後に「やったことの記憶とそれにかかった時間の修正」につとめれば、「変なストレス」から徐々に解放されます。
記事の内容に照らすなら、2015年の12月になったとき「今年1年があっという間に過ぎてしまった」ということのないようにしたいものです。
2015年の「時間の使い方」を改めて考えたいという方にも、ぜひこちらのセミナーへのご参加を検討していただけたらと思います。