裏を返せば自分に不安を感じたくないのでしょう。
それはそうです。
人間社会で生きていく以上、批判は受けますし、人格を否定されることだってあります。なかには根も葉もない思い込みに基づくものもあり、ひどい場合には完全な誤解にすぎないケースもあります。それでも私たちは大いに傷つくわけです。
私などは、どこを見るとそう見えるのか、ときどき「強烈な自信の持ち主」だと美しく誤解されているようです。実体はいわゆる自己肯定感などまったく無に等しいチキンにすぎない人間なのですが。
とはいえ自分が「ダメ人間だ」と思っていては仕事が手につきませんし、必死になって仕事を進めても、それにダメ出しされては「自殺したくなる」ようでは、実用的には不便でしかたがありません。「自己肯定感」を高めたくなるのはもっともなのです。
私は1つですが確実に自信を深める方法をもっています。
10時から13時の間のログを眺める
タスクシュートで記録した一日のログを眺めるのです。特に10時から13時の間のログは有効成分が多く含まれています。
これを見るたびに「誰が何と言おうと私はよく働いている」と実感できます。
もちろん実際に何をお目にかけても「いや、これを見る限り佐々木さんはろくすっぽ働いてませんね」という方もいるでしょう。
あるいは「こんなので自信をもつなんて労働教でかわいそうですね」という人もあるでしょう。
でも私にはまったくそうは感じられないのです。私は午前のログを見ると自信をじんわりと実感できます。自信とはそういうものではないでしょうか。他の人に言い訳するためのものではないのです。他の人に言い訳が通用しても、自分が心のそこから「よくやれている」と思えないのでは意味がないでしょう。
しかもいつも見るのは10時から13時の間だけです。見ようと思えばログが1日分、そして365日分、さらには10年以上ぶんがあるのです。
ときどきそれらをすべて眺めていると、およそ私のしたタスクとは思われません。それどころかいささか「人間離れしている」とすら思えてきます。おめでたいかもしれません。それでも私には「これをぜんぶ10年かけてやりなさい」といわれても自分にはちょっとムリそうだと思ってしまうのです。それを自分がやってきたわけです。
人間とはすごいな、そして「私」は想像以上にすごいものなんだな、と感じるわけです。
もちろんこれができるのは、周囲のサポートがあったからです。家族や読者の方や仕事の関係者の協力があってこそです。きれいごとではなく、その事実も記録に残っています。
記録には家族からの頼まれごともあれば、仕事の依頼もあります。そういったものがいっさいなしに、同じ結果が残るはずもありません。どこまでも事実に基づく意義はこのへんにもあります。
一般にタスクシュートのような記録は、行動を改善するために利用するものと思われているでしょう。そういう使い方もできます。けれどもまずは、自己肯定感を育むために「眺めて」欲しいと思います。
誰だって、かなりのことをやっています。いまは一時的に「仕事」から離れていたとしても、だからといって「なんらかの意味で仕事と呼べるような行為」をまったくしていないという人はいないはずです。
少し頼まれごとをやったら私はそれは「仕事」だと思います。実家の両親が心配してかけてくれた電話に対応したなら、私はそれも「仕事」とみなします。「安心」という自分以外の人では提供できない価値をもたらしたからです。
タスクシュートは必ずしも「ライフログ」ではありません。記録が残るのはどちらかといえば「結果」です。
しかし使っているだけで正確な記録が確実に残ります。それを「眺める」だけでも自信を失いがちな人には大きな力をもたらします。
それはおそらく私たちが「ただ生きる」には相当のエネルギーと努力が欠かせないもので、その正確な記録には、生きている本人を感心させられるだけのものが宿っているからなのです。
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私のある日のタスクシュート(TaskChute Cloud)の画面を公開しつつ、朝起きてから夜寝るまでの間の全タスクをどのように実行しているかを紹介している動画です。
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