何が実験的かというと、内容に難易度の区別をハッキリさせてないところです。易しい話も難しい話も、「必要な内容」をぜんぶ盛り込んだつもりです。
「GTD」も「タスクシュート」も「マニャーナの法則」も扱いました。
しかし「大全」ではありません。タスク管理を網羅してはいないという意味です。
できる限り「GTDという言葉を初めて聞く」という人でもあっさり読み通せるように、しかも「洗い出し」や「記録」でつまずくポイントは拾い尽くせるように心がけました。
たとえばなぜ時間をかけて気になることを洗い出さなければならないか、あるいはなぜ「ゲッティング・シングス・ダン」と呼ぶのかまで検討しているところは「マニアック」に見えますが、何かと言えば「図解」が出てくるところは「入門的」だと思います。
いちいち「食事」まで「タスク」リストにあげ、その「ログを読む」のが何の役に立つのか、というありがちなポイントもピックアップしました。
ログの実例として142ページ〜143ページには私のある1日が、ほぼすべてリストアップしてあります。これを読みなおしてどうなるというのかと、きっと理解に苦しむところだろうと思います。
自分が自分であり続けるから仕事ができる
読んでいただければわかるとおり私はそんなに「仕事」をやれていません。食事だの入浴だの睡眠だの、要するに「生きているための時間」が圧倒的に長いのです。その間にも庭のケアをしたり、食事の片付けをしたり、「いろんなこと」をやっています。
ひと言でいえば「これが自分」なのです。
1日あたりの仕事量は実際たいしたことはありません。しかし50歳も間近になってみればそれなりの冊数が出版できたし、いちおう仕事をやってきているふうではあるでしょう。
こういうのが「自分」なのです。
「自分が自分である」というのは大事なことです。自分が自分であるのをやめようとすれば、なけなしの仕事すらはかどらなくなります。自分が自分でなくなったら、自分だからやっとできた仕事はできなくなるでしょう。「時間を多く確保したが、以前より仕事はできていない」というのはありうる事態です。
こういうところに「タスクシュート」の原則が潜んでいます。
そしてこういうところは、なぜ「ことごとく洗い出し」たり「GTDと名づけられて」いたりするのかと、私から見ると共通しているのです。
確かにタスク管理としては見た目もやっていることもいちいちちがうGTDやタスクシュートやマニャーナでも、自分なりの仕事術として機能するようになってみると、だんだん似てくるのです。
なんだかんだと3つともやってみた私にはそう感じられます。
ひとつの結論が「今日のリストを作ること」です。
本書はそれを作るところからスタートしています。